後日、テーリは仕事ではなくプライベートでヴィオレットの園を訪れていた。
ヴィオレットは基本的に頭の切れる聡明な女性だ。ふたりはテラスで向き合い、マヤが紅茶を淹れ、ヴィオレットはテーリに言った。
「あのときはありがとう、マリ。お礼というわけじゃないけどひとつだけ教えてあげる」
テーリは紅茶を嗜みながら答えた。
「なに?」
「地下世界の存在……」
「地下世界?」
このときもヴィオレットはまだゴースト・メイデンのことは秘密だったから慎重に言葉を選んでいた。
「スパイ、ハッカー、スナイパー……。正体不明でも必ずいるにちがいない。そういった敵に賞金を懸けて暗殺する世界があるの」
テーリは紅茶を啜り、黙って聞いていた。
彼女にとって、それはどこか遠い世界の話でしかなかったのだ。
すくなくともこのときは、まだ。
「貴女ほどの腕利きのスパイであれば、必ず懸賞金がつく。気をつけなさい。貴女、いつ暗殺されてもおかしくない。そういう世界にいるのよ」
「ぼくに懸賞金? だれが?」
「世界中の犯罪組織、軍隊、諜報機関、その他無数に考えられるわね」
「相手が何者か、いるかどうかすらわからないのに賞金を懸けるの?」
「どんな凄腕のハッカーでいかに正体を隠しても、そうやって正体を隠して活動する何者かがいるという事実だけはぜったいに隠せないわ。そしてそういう奴のくせや行動傾向をもとに分類し、仮称をつけて賞金を懸けるの」
「うそみたい」
「ほんとの話よ」
「ぼくには関係ない」
「命取りになる謙遜ね」
「……」
ヴィオレットは深刻そうに言った。
「ルーキーはみんなそうなの。みんな出しゃばる。上には上がいるって知らずに、自分の能力を過信して目立つ行動をする。井の中の蛙なの。ぜったいに懸賞金はつく。地下世界の存在にさえ気付かず、知らず知らずのうちに賞金を懸けられて殺される。そういうのがほとんどよ」
テーリはそのとき冷静に彼女自身を分析し、たしかにそういった可能性は否定できないと感じた。
「……ぼくにどんな名前で懸賞金がついているのか知ってるの?」
「いいえ。でも必ずつくわ。貴女なら、必ずね……」
ヴィオレットは紅茶を飲み干してたずねた。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったわね」
「なんのこと?」
「とぼけないで。貴女は偽名で活動していた。ちがう?」
「さあ。答える価値がある質問とは思えないけど」