ルビーとローズの仕事はいろいろあるがそのひとつは毎月ヴィオレットの園で洗濯した金を受け取ることだった。資金洗浄の手口は彼女らのような末端には極秘事項だったが、組織は国外の犯罪組織と連携しているともっぱらの噂だった。組織はほかの犯罪組織と手を組み、犯罪で得た金を世界各国あちこち移動させ、最終的にイギリスの別の組織に戻るようにし、洗われた現金をヴィオレットの園で受け渡しする。ルビーとローズは受け渡しを実際に行う役目だった。
犯罪組織の給料日のようなもので、毎月10日前後の平日に数日かに分けて行われた。
だからルビーとローズはまたヴィオレットの園を訪れた。今月の洗濯はこれで最後だ。
「ローズさん、毎月2、3回の仕事で済むなんて、楽なバイトですね~。わたしこの仕事始めてから本業がばかばかしくて」
「ルビー、失敗すればいのちが危ないことを忘れるな。もっと緊張感を持て」
「でも組織に反抗すればヴィオレットさん、終わりですし、ぜったい言えないですよ~。それより組織って、どうしてこんなに毎回回りくどい方法で場所を指定するんでしょう。同じところだったらすぐ見つけられて楽なのに~」
「同じところに埋めたらすぐ気付かれてしまうだろ。100万ポンド単位で動くんだからそれくらい楽なもんさ」
ヴィオレットはルビーとローズが従業員用の出入口から入ってくることが監視システムでわかった。そして彼女はもし今月ふたりを捕まえるとすればこれが最後のチャンスだともわかっていた。
しかし彼女にとって、ふたりを捕まえることは組織に園を潰される危険もある、過酷な選択だった。
(でも、組織がいつ不当な要求をしてこないともかぎらない。このままふたりの言いなりで一生過ごすなんてごめんだわ! ヴィオレットの園は、犯罪組織の道具じゃない!)
彼女は決断し、マヤを呼び出した。
「マヤ、部屋にきて頂戴。それから……マリも」
マヤはテーリに伝えた。
「ハセガワさん、ヴィオレットお嬢さまがお呼びです」
ふたりはずんずん歩いて館の5階へ行った。
ヴィオレットはあくまで余裕がないことを悟られないポーカーフェイスで言った。
「マリ、貴女の行為を叱責するつもりはないわ」
テーリは彼女の意図が半分くらいわかっていた。
(彼女が犯罪組織に賄賂を受け取っているのか弱みを握られているのか。それを判断する材料がいる)
彼女は答えた。
「叱責? なんのことでしょう」
「この期に及んでまだとぼける気? 貴女のスパイ行為についてよ」
「昨日の今日でまたそれですか。てっきりあなたはマヤさんに用があるのかと思いましたが、ぼくに用があって呼びつけたのですね」
ヴィオレットはそう言われて、
(見抜かれてる)
と感じた。彼女は威圧的に言った。
「だったらなんだって言うのよ」
テーリは冷静に答えた。
「なぜぼくをもっと強引に拘束しないのですか?」
ヴィオレットは困惑した。
「え……?」
「もしあなたに確信があるならこんな遠回りなことをする必要はない。ちがいますか」
「……たしかにそうね。もう単刀直入に聞くわ。貴女のバックにいる組織が知りたい」
「ホワイトアース・ジャーナルです」
「私はそうは思わない」
「なぜです?」
「貴女がフィルムカメラを持ってきていたからよ。報道機関はデジタルカメラを使うわ。フィルムカメラが必要なのは法廷で有効な証拠が必要な法執行機関よ」
テーリは順当な推察だと感じ驚きはしなかった。
「ついでに言うと貴女がアメリカ合衆国と通信をしていたことも突き止めているわ」
それはテーリにとって新事実で、彼女は一瞬動揺してしまった。
ヴィオレットは彼女のそのわずかな表情の動きを見逃さなかった。実のところ本気で彼女がスパイなのだととは彼女自身半信半疑だったのだが、その動揺がその疑念を確信に変える材料になった。
「アメリカ合衆国の法執行機関がイギリスに。対外諜報機関ね。CIAかしら?」
「……いいえ」
「じゃあ、NSA?」
「……」
テーリはたとえ仕事でもうそをつくのが苦手だった。彼女は押し黙ってしまった。
「いまの反応で確信したわ。貴女はNSA局員ね」
ヴィオレットはそれで内心勝利を確信した。
(これなら彼女の力を借りれば組織に対抗できる!)
ヴィオレットはテーリにゴースト・メイデンの事実は知られていないと思っていたのだ。
ヴィオレットは矢継ぎ早に言った。
「……もし貴女がルビーとローズを追跡してここにきたのであれば、協力できないことはないわ」
テーリは彼女がそう発言したことであいまいだった疑惑が確信に変わった。
(やっぱりヴィオレットさんは脅されていたんだ!)
それで彼女は真実を話そうと思って答えた。
「ええ。ぼくの目的はルビーとローズの追跡です」
「やっぱり! そうだったのね」
テーリは内心迷っていた。
(ヴィオレットさんがゴースト・メイデンだということ……それは、ぼくが聞かなかったことにすれば当局にはわからない。もし彼女が犯罪組織に脅されているだけで、かれらに対抗する力を探しているのだとすれば……)
彼女は先回りしてたずねた。
「ヴィオレットさん、もしふたりに脅されているのであれば力になれるかもしれません」
ヴィオレットにとっては、脅されるような事実があるということが知られるのはあまり好ましくなかった。
「なぜそう思うの?」
「いえ、その……捜査状況をあまり細かくお伝えすることはできませんが、ここで犯罪が行われていることは明白です。もしあなたが犯罪組織に目をつけられて、意に反してその行為に加担させられてるならば、お力になれると思っただけです」
ヴィオレットはひょっとしたらテーリがすでにゴースト・メイデンのことも突き止めているのかもしれないという考えが頭をよぎった。NSAと組織のどちらを敵にまわすのがより厄介かという話でしかなく、NSAはひょっとしたら将来敵になるかもしれないが、現時点で実害があるのは組織のほうだ。ここは彼女を味方につけることが得策と考えた。
「……ハセガワさん、認めるわ。私はふたりに脅されているの」
それはマヤも知らなかった事実だった。
「おっ、お嬢さま! ずっと秘密になさっていたのですか?」
「ええ、相談できなくて。昨日……あのことを話したわよね」
マヤはそれで理解したが、その場にはテーリもいたのであわせて具体的には言及せずに答えた。
「……ずっと、お悩みでしたのね。私はずっとそれに気づけず、不甲斐ない……」
「いいのよ、マヤ。ハセガワさん、どうかしら。もし私たちの利害関係が一致するなら、ふたりを捕まえることには協力する。その代わり貴女の上にとりあって、組織から私たちを守るよう動いてほしいの」
テーリはそれを約束できるだけの権限がなかったので、正直に答えた。
「上司に連絡してみます。通信機につけた盗聴器を外してください」
「……やっぱり、気づいてたのね。工具はマヤの部屋にあるわ。マヤ、外してあげて」
「お嬢さま、ですが、彼女がほんとうにNSA局員だという証拠がありません」
「私は確信している。彼女がNSAかどうかはともかく、組織に対抗できる力のある組織の人間だってね」
「それで園の命運を賭けることは妥当な判断とは思えません。ほんとうにそのような組織に所属している証明がなければ、ふたりを売ることには反対です」
「マヤ、いいのよ。今更身分証明書なんて見せられても証明になるとは思えない。彼女はすでに偽造IDを提示しているんですからね。それより彼女の実際の通信を聞くほうが、ずっと説得力がある。すくなくともそういう通信をする相手がいるってことですからね。マリ、まだ完全に警戒を解いたわけじゃないわ。貴女の所属の証明も兼ねて、通信内容はそばで聞かせて頂戴」