翌朝午前7時、テーリは最初にフィルムカメラに仕掛けがされていないか調べた。それはデジタルカメラより細工は難しい。見たところ細工はされていなかった。
開館は午前10時。彼女はそれを持って例のふたり組の女性を待ち伏せようと考えた。
しかし彼女が館を出ようとすると、マヤが彼女の耳を引っ張って止めた。
「ハセガワさん、仕事がありますよ。あなたは庭園ではなく館の勤務です。10時までに館の掃除! 埃のひと粒に至るまで徹底的に!」
「は、はい」
どうせあの女性らがやってくるとも限らないわけだし、彼女は10時まで掃除することに決めた。
意外なことではないかもしれないが、開館前の館では掃除ロボットも活用されていた。服装はみんなヴィクトリア朝のそれだがドローンがどこからともなく現れて掃除している光景はどことなくスチームパンクを思わせた。
それでもドローンの掃除は完璧ではない。メイドたちが花瓶のひとつまで除け隅々までていねいに掃除していた。
「ヴィオレットさん、意外とこういう機器も使うんだ」
マヤが怒鳴った。
「使用人は主人をお嬢さまと呼ぶこと!」
「へっ!?」
「それとお嬢さまはハイテク機器にも通じておられる。営業中は園の雰囲気を優先するがなにもテクノフォビアというわけではない」
「だってセキュリティ・システムも導入してないって、そういうことが起きんばかりなのにまるで……」
「まるで、なんだ?」
テーリは喉まででかかった言葉をぐっと飲み込んだ。
(まさか、ヴィオレットさんはそういう犯罪に利用される可能性があることを理解して、あるいはそれらの行為を把握したうえで『黙認』している?)
彼女は思いを巡らせた。
(……もし、彼女が犯罪組織から賄賂を受け取っていたとしたら……)
しかし彼女は別の考えもあった。
(……いや、ヴィオレット=ゴースト・メイデン。これは彼女の弱みだ……脅迫?)
マヤが怒鳴った。
「マリ! 手が止まっているぞ!」
「はっ、はい!」
ヴィオレットは私室で無音の盗聴器に耳をあてテーリの動向を探っていた。
(彼女、昨晩からなんの動きも見せない。しばらく泳がせれば通信して背後にいる何者かの正体に繋がるなにかがわかることを期待していたけど盗聴していることに気づいているのか)
彼女はひどく悩んでいた。
(それとも彼女に事情を話し助けを乞うか。だめ。それじゃあゴースト・メイデンの悪事が明るみになる。みんな終わりだ……)
ルビーとローズはヴィオレットの園の従業員ではなく、とある密売組織のメンバーだ。その組織は犯罪で稼いだ金を幾重にも洗い当局をまくための中継地点のひとつとしてここを選んだ。ヴィオレットは『黙認』するだけでよく仮に見つかったとしても彼女に繋がる証拠はなにも残らない。それは組織が彼女に『黙認』するのが最善手だと納得させるための情報操作でもあった。
組織はヴィオレットの弱みを握り、『黙認』を強制していたのだ。
ヴィオレットの弱みはゴースト・メイデンのことだった。
彼女は過去、企業のシステムをハッキングして情報を得て株取引をした。彼女に繋がる証拠は残さなかったが、そういった活動をしている人物がいるということは知らず知らずのうちに噂になっていた。
その人物は地下世界で仮にゴースト・メイデンと呼ばれ、賞金を懸けられた。
彼女はそのことをしばらく、知らなかった。
彼女は株取引で得た利益でこのヴィオレットの園を建設。
経営は順風満帆で波に乗り、ゴースト・メイデンの活動は不要になって、停止した。
しかし、ある日ヴィオレットはゴースト・メイデンという名前で賞金が懸けられていることに気づいた。ヴィオレットの園の成長曲線とゴースト・メイデンの活動記録を照らし合わせればゴースト・メイデン=ヴィオレットという結論には簡単にたどりつくだろう。
そしてそれは最悪のかたちで現実のものとなった。組織が彼女を脅迫したのだ。
ルビーとローズは組織の末端だったがヴィオレットはふたりに逆らえなかった。
彼女はルビーとローズに従業員用の入館許可証を渡した。ブレスレットがなくとも館内を自由に出入りでき、荷物検査や金属探知機のない従業員用の出入口を利用できる。
要求は当初こそただ単に『黙認』すればいいというものであったが、徐々に交渉が威圧的なものに変わりつつあり、ヴィオレットの園の売上をいくらか納めろと要求されていて彼女は組織と縁を切りたいと願っていた。
しかし組織が握っている彼女の弱みには園を潰せるだけの力があった。
ヴィオレットは苦悩していた。
(もしマリの背後に組織に対抗できる後ろ盾があるなら彼女を頼ることはできる。でも、同時にゴースト・メイデンとしての過去を暴かれてしまう可能性がある)
彼女は悩んでも結論を出せなかった。
(まだこっちから動くのは時期尚早すぎる)