その夜。
ヴィオレットの園の従業員は大きくメイドとエキストラに分けられた。エキストラは園の営業終了とともに帰宅して男性従業員も多くいる。メイドは全員女性でヴィオレットの館に住み込みで働き、庭園や館の管理のほか、ヴィオレットのお世話もする仕事だった。
テーリはメイドとして働くので、ヴィオレットの館の4階に住むことになった。
彼女は4階を案内されているとき、各部屋の扉のまえに設置されている認証システムがパンプキン・セキュリティの製品であることを見てしめしめと思っていた。
(これなら簡単にハイジャックできる。だってぼくが開発したシステムだもん!)
彼女はそれを表情にださずマヤにたずねた。
「ここのメイドさんって単にそういう制服を着ているだけじゃなくて、ほんとにメイドの仕事をしてるんですね」
マヤは初めてで不慣れなテーリの着付けを手伝っていた。
「当然だ。この館は日中はお客を迎え入れ営業しているがヴィオレットお嬢さまの私邸でそれが本来の姿だ。これだけ大きな館を清掃するだけでもひと苦労だ」
「ってことは要するに、ここってヴィオレットさんの家……?」
「だからそうだと言っているだろう」
「この園に防犯カメラだとか、そういったセキュリティ・システムがないのは、ここが彼女の自宅だから?」
「それもあるが防犯カメラなんてものはヴィクトリア朝時代にはなかった。神は細部に宿る。そういった細かい配慮がこの園の価値を高めているんだ」
「……それでも、すこしくらいセキュリティを気にかけたほうがいいと思う。もしここでなにかの犯罪が起きたら、責を負うのはヴィオレットさんですよ」
「新米のくせによく言う奴だな。どうでもいいがドレスはともかく、メイド服もひとりで着られないのか?」
「だって着方のわからない部品がいっぱいあるんですもん!」
「ドレスに比べればだいぶ簡単な構造のはずなんだがな」
「着るだけならひとりでできますけど、変な着方をしたら恥ずかしいです」
「それもそうだな。こうやって着るんだ。わかったか? さあ、明日からは自分で着ろ。もう覚えたか?」
「ええ、もちろん。ありがとうございます」
またマヤはテーリからブレスレットを回収し代わりに従業員用の入館許可証を渡した。
「ブレスレットはお客さま用。これがあれば基本、館内のどこでも自由に出入りできる。これから園に出入りするときは、お客さま用の出入口じゃなくて従業員用の裏口を使え。金属探知機や荷物検査なしで入館できる」
彼女はそのとき感づいた。
(そうか。だからふたりはブレスレットをしてなかったんだ。やっぱりヴィオレットさんがあのふたりに命令していた疑惑が強い)
彼女はそれに気づいたことを悟られぬようポーカーフェイスでたずねた。
「えっ、いいんですか? ぼく新人なのに……」
「なにを言ってるんだ。新人だろうとなかろうと仮にも従業員。ほかのメイドと同じ待遇だ。ただし5階はお嬢さまご自身のIDでないと開かないし、4階の幹部の個室も従業員用の入館許可証では入れない」
マヤはそう言って幹部用のIDを見せた。
「幹部用のIDは個人識別情報が含まれているが入館許可証は従業員個人の区別はなく、番号対照表で区別されているが、基本的に開ける扉は同じ。4階は従業員のフロア。幹部も含めて4階で寝泊まりする。幹部以外の従業員は同じ部屋を複数で共有する。おまえはこの部屋の東側の上の段のベッド。5階は正真正銘、お嬢さまのプライベートな邸宅だ。幹部も含め招待されないかぎり立入禁止だ。わかったか?」
テーリは困惑した。
「2段ベッドって、カーテンで仕切られてるだけでプライベートもなにもないですよ」
「貴重品はロッカーにいれろ。これが鍵だ」
「そうじゃなくて!」
彼女は真っ赤になって叫んだ。
「なにか不都合でもあるのか?」
「いえ、その……」
そして不自然にもマヤはテーリのすべての装備を返却した。
「従業員を信頼せずして経営はできない。それがヴィオレットお嬢さまの持論だ」
「……」
テーリはそれがなにかあやしくて怪訝な顔をして彼女を見つめていた。
彼女は装備を慎重に検討し盗聴器が仕掛けられていないか調べた。するとやはり盗聴器が仕掛けられていた。
(ここにある工具じゃ盗聴器は外せない。これじゃ本部と通信はできない。ヴィオレットさんはぼくが報告してぼろをだすことを待っているんだ)
この館はアナログなシステムが多く彼女は苦労した。しかし電子ロックの解除は彼女がもっとも得意とする領域だ。
彼女は2段ベッドでカーテンを閉めてブラジャーを脱ぎ、その下からワイヤーを抜いてとった。ブラはもちろんつけなおす。
ピッキングみたいなものだ。電子制御と言ったって所詮は電気系統。電流の流れを制御すれば扉は開く。
それから彼女はあやしまれないように5階に向かった。
その夜、マヤは5階のヴィオレットの私室に呼ばれ、彼女の相談に乗っていた。不安なことがあるとヴィオレットは言うのだ。
「マヤ、私不安なの。このままじゃなにもかも壊れちゃうんじゃないかって」
ヴィオレットは19歳、マヤは27歳。ヴィオレットにとってマヤは心強い部下で同時に精神的に頼りになる女性だった。
マヤは彼女にたずねた。
「お嬢さま、彼女がスパイだと仰っていましたね。それが不安なのですか?」
ヴィオレットはそれまでだれにもそのことを話したことはなかった。それはマヤでさえそうだった。だが彼女は長年の付き合いでもうマヤを信頼していた。彼女はたとえそれで解決しないとしても、こころのなかからこの不安を取り除くにはだれかに打ち明けるしかないと思った。
「マヤ、ごめんなさい。でも貴女を信じて話すことにするわ」
彼女は話し始めた。
「私は地下世界では別の名前で呼ばれている。ゴースト・メイデン、と」
「ゴースト・メイデン?」
「……私は暴れ過ぎた。そういうことよ」
「どっ、どういうことですか?」
「株取引で不正を働いた。地下世界ではゴースト・メイデンの仕業だと言われてる。でもほんとうは私。もしそのことが明るみになればこの園は政府に没収されてしまうわ」
「……」
「私は奴を警戒している。マリがスパイだという確証はない。でも私はみんなを守るため最大限の警戒をしなければならないのよ」
マヤは彼女の告白が半分ショックだったが、半分はそんな秘密を共有してくれるほどに信頼されているのだという事実に心打たれていた。
‐HIJACK COMPLETED‐
テーリはその会話を彼女の部屋のまえで聞いていた。彼女にすればこの館のメイドたちは素人だ。警備は簡単に回避することができた。
彼女は電子ロックの回路の流れをブラのワイヤーで強引に変え制御系統を騙しロックを解除した。この館で採用されているセキュリティ・システムはパンプキン・セキュリティが開発しているものだったので彼女はそのバックドアを知っていた。
(ヴィオレット=ゴースト・メイデン。でもぼくの目的はそれではない。彼女がしたことはいけないことかもしれない。でもそれを暴くのがぼくの仕事ではない……)
その日彼女はメイドとして館の掃除や翌日の準備等をした。彼女は運動神経には自信があったがそういう問題ではなく、それはそうとうの体力勝負だった。
彼女はひょっとしたらスパイの仕事よりもたいへんかもしれないと思いつつ、くたくたになって眠った。
彼女が眠りに就いたあと、マヤが彼女の部屋のロッカーをマスターキーで開け、持ち物を調べた。
しかしマヤの調べでは、最初に提出した金属類以外にあやしいものはなかった。テーリはもし拘束されても情報が漏洩しないよう、本物のID等は潜入時には持ち歩かないことにしていたのだ。