ヴィオレットの園は中心にヴィオレットの館があり、その周囲に大きな庭園があった。テーリは最初遊園地かと思ったが、アトラクションのようなものはなかった。代わりに庭園にあるものはすべてが売り物だった。
園の東にぶどう畑があって、ブレスレットのIDが自動的に彼女を識別した。ぶどう畑でメイドたちが水をやっていて、隣の醸造所ではそれでワインをつくっていた。テーリが畑のあちこち歩いて見物していると、メイドがこうたずねた。
「よかったらぶどう、食べます?」
「えっ、いいんですか!?」
「はい。ひと房50ポンドになります」
「高……っ!」
メイドはにっこり営業的な笑みを崩さず耳に入らぬふりをしていた。
「なんでしょう?」
「いえ、なんでもありません」
テーリは思った。
(相場よりかなり高いけど、ここで食べるという体験には価値があると思う)
なので彼女は答えた。
「ひっ、ひと房ください!」
彼女はぶどうをかごにいれ食べ歩き、お肌がつやつやになり満面の笑みで思っていた。
(それに仕事中だからどうせ経費で落ちるし~っ!)
ヴィオレットの園の外側は畑が多く、園の中心にヴィオレットの館があり、その正面は広間になっていて噴水があった。噴水の周囲にはパン屋さん等いろいろなお店があった。それらも軒並み相場よりずいぶん高いものの粗悪品を売っているわけではなく一流のパン職人を雇っていたりして、値段相応のおいしさだった。
鍛冶職人やガラス職人がヴィクトリア朝時代らしい恰好をしてそれらを加工している。完成したものはそのまま店頭に並べられて売られていた。
館の正面の噴水のそばで芸術家が絵画を描いていた。テーリはそれを横から覗いたが、本物の芸術家でおそろしく上手な風景画を描いている。どうやらヴィオレットに雇われているようだった。噴水に立てかけられている作品の値段は彼女の手がでるものではないしさすがに経費では落ちないだろう。
噴水の周囲ではアコーディオンの音楽にあわせて吟遊詩人が自由の賛歌を歌っていた。アダム・スミスの自由放任主義を称える歌だ。それは産業革命とともに、経済政策の面でヴィクトリア朝時代を大きく特徴づけるものだった。
彼女は経費で落ちるというのもあって若干割高で高級な食べものやお土産を躊躇せずにどんどん買ってしまった。
彼女は園の端から端まで歩きまわった。園のなかでも外壁に近い場所、群衆から離れ、鳥のさえずりと川のせせらぎ以外の音が聞こえない林のなかで、彼女はふたり連れの不審な女性を見た。服装はほかの客にもレンタルされているヴィクトリア朝時代のシスターの衣装だったが、ふたりともあまりお土産には見えない、大きな荷物を運んでいた。
「重いですね、ローズさん」
ひとりの女性がそう言った。連れの女性が答えた。
「ルビー、100万ポンドは20kg。そりゃ重い。でも洗濯物を運ぶのと変わらない」
「ここまでくると体力勝負ですね。でも、100万ポンド。大事な仕事です」
それらの会話を聞き、テーリはそれが資金洗浄の現場だと確信した。
(もしも彼女らが100万ポンドをほんとうに運んでいるのだとすれば資金洗浄の現場にちがいない! まさかこんなに早く見つかるなんて……!)
それから彼女は思わずカメラを取り出そうとしたが、マヤに預けていたことを思い出し慌てた。
(あーっ、そういえば預けてたんだった! これじゃあ証拠が撮れない!)
彼女は木陰で大慌てで頭を抱えていた。そうしているとルビーとローズがそこを通って彼女はローズにぶつかってしまった。
当然、ローズにぎろりと睨まれるテーリ。
「やります?」
ルビーが懐に手を忍ばせ、ローズにたずねた。テーリはそれが銃だと思った。
「ごごご、ごめんなさい!」
テーリは反射的に謝った。内心大泣きしていた。
(ひーっ、武器もないし、たっ、助けてーっ!)
「いや、ここで騒ぎになるのはまずい」
ローズはテーリの頭をぽんぽんと叩いた。
「ガキが。おれたちのことはだれにも話すなよ」
こうしてふたりはテーリを見逃した。
ふたりがその場から離れたのでテーリはほっと胸をなでおろした。
しかしそのとき彼女はすこし違和感を感じた。
(あれ? ふたり、ブレスレットをしてない……?)
客は全員ブレスレットをつけているはずだった。
ブレスレットを腕につける義務はなく、かばんのなかにいれている客もいたのだが。
ルビーとローズは20代。テーリが明らかにティーンエイジャーだったのも、ふたりが彼女を見逃す理由ではあった。ふたりは彼女がスパイだとは思わなかったし、それ以上にたとえ見られていたとしてできることはなかった。
ルビーはとっさに演技をしたがほんとうは銃なんてなかった。はったりだった。
それ以前に銃があったとしてヴィオレットの園で死体をだすことはできない。
ふたりは上司に報告することすらできなかった。
ルビーとローズはある人物の命令で動いていた。しかしここでテーリに見られたことを報告すればふたりとも立場が危うくなる。ふたりは囚人のジレンマを抱えていたのだ。
テーリからすこし離れ、だれにも聞こえないようにローズはルビーに言った。
「あいつのことは、だれにも話すな。もしもあのおかたに知られれば、首を切られるのはおれたちだ。それに、あんなガキがなにかに気づくとは思えない」
ルビーは汗をかいてこくこくと頷いた。彼女はローズの言いなりだった。