文化一四年(一八一七年)夏、日本、長崎。
ある島の山岳地帯の峡谷に、水無川というほとんど水の流れない川がある。雨が降る、台風がおとずれるなどして増水すると激しい流れの河川となるが、晴れた日には星の砂のように細かい砂礫のあいだに透き通った水が流れている程度の、静かでおとなしい川だ。いつも遠目には川とさえ思えないほど水量が少ないが、素足で歩けばぴちゃぴちゃと、水面が揺れて水の音が聞こえるのだ。
島の中心部には火山があって、近場には天然の温泉がいくつも見られる。小さな島で、山の峰から島のほとんど全域が見渡せて、船がしきりに入出港する港湾も、人々が生活を営む市街地も、海岸線の果てに広がる大きな海も見張らせた。
景色は全日本でも随一だが山のふもとの街ならいざ知らず、こんな山奥の森林で人並みの生活は望めない。住もうと思う者は皆無で、登山家や温泉好きがときおり現れる程度の閑散とした場所だった。
そんな森の奥に水無川神社という古い神社があった。近くに流れる水無川がその由来とされているものの、あまりにも古くからある神社のためほんとかうそかは定かではない。
そんな水無川神社で、今日も朝早くから巫女さんが箒で落ち葉を集めている。
水無川神社の巫女の連理、二一歳。寛政八年(一七九六年)生まれ。つややかな黒髪は、ふだん結ったうえでかんざしで留め短くまとめているが、降ろせば足元まで届く長さにもなる。ガラス細工のような薄灰色の瞳は、光を反射すれば虹がかかった銀色の宝石にも見える。
幕府の政策で平民がおおやけの場で名字を名乗ることは禁じられているが、神事など、特別な行事のときや家柄によっては例外的に許可される場合もあった。彼女がそれに該当するかどうかを彼女は知らなかったし、彼女はそれがいちいちお上に確認するほどのことともあまり思えなかったので、彼女が名字を名乗ることはなかった。とはいえ、彼女には先祖伝来の家名があり、彼女自身の名字を知らないわけではなかった。彼女はあまりその名を使わないが、本名を水無川連理と言った。
水無川神社の近くには水無川旅館という温泉宿があり、そこが連理の実家だ。もともとこのあたりは地元では有名な湯治場で、湯につかるだけでも、相当の準備と経験が必要な難所として知られていた。そんなところで旅館の経営を始めたのが連理の先祖で、水無川旅館の始まりは安土桃山時代にまでさかのぼるという。
連理は水無川の家の長女として、なりゆきで巫女の毎年の神事や神社の掃除などの仕事をしており、また実家の旅館では若女将としての修練に励んでいた。
水無川旅館は地元の庶民でも泊まれるが、長崎奉行をはじめとした江戸幕府の関係者がお得意さまだった。もっぱら江戸の御老公が長崎にはるばるやってきたときに、長崎奉行がかれらをいたわるために利用するのだ。幕府の関係者が貸し切りで旅館を利用するのは一年に数度だが、それだけで一年の運営費の大部分が賄えるため、いつもは庶民でも手の届く料金で泊まることができる。
旅館は山の峰にあるので、連理は毎日のように、鹿のヤフトヘルトに空の荷車をひかせ徒歩でふもとへ降り食材の買い出しへ行く。巫女装束は神社で着るもので、街へ行くときは着物へ着替える。
長崎の出島と呼ばれる海上の人工島には、鎖国下の日本でわずかにではあるものの貿易を認められたオランダの商館があった。
出島に来航する船はオランダの船ばかりだが、乗船しているのはオランダ人とは限らずヨーロッパやインドなど、航路にあるさまざまな国の人々が毎年夏にやってくる。しかし出島から出ることはよほどのことがなければ許可されず、また滞在できるのも四ヶ月ほどで、商館で働いているものを除けばその多くが冬には帰国することが普通だった。
また出島は遊女を除けば女人禁制で、連理が出入りすることは難しかった。オランダ人も特別な理由なしに出島から出ることを禁じられていた。
とはいえそれも過去の話になりつつあった。オランダの医師が幕府の役人を手当てして『蘭方医学』の有用性が認知されるなどして西洋の学問や文化への関心が高まったからだ。自由に往来することは依然として難しかったが、きちんと理由を説明すれば許可が降りることも、そう珍しいことではなくなっていた。
連理と言えば異国からやってくるおいしい食べものや珍しい物品が大好きで、たびたび出島に行って買い物をしていた。もちろんそんな私事で許可が降りることはめったにないが、彼女には『お上の接待のため異国の物品が必要』という理由があったので、きちんと説明すればたいてい許可されたし、その途中で個人的な要件を済ませることは、常識的な範囲であればそこまで問題視されなかった。
彼女が街に降りると、その日はいつになくにぎやかだった。港には一隻のオランダの船が入港しており、まだ仕事盛りの朝方だというのに、街中の噂好きの婦人たちが集まって騒ぎ立てていた。
連理は住んでいる場所の関係もあって、あまり賑やかな雰囲気が好みでもなかったが、やはりこうもみんながはしゃいで楽しそうにしていると彼女自身は表情にはださずとも、好奇心を抑えられない性分でもあった。
たまたまそこに彼女の知り合いのお瀧がいた。
「お瀧さん、なにがあったんですか?」
お瀧は呼びかけに気づくと挨拶のようにヤフトヘルトの頭をなで、すぐ連理に答えた。
「おはよう、漣。聞いて驚け。和蘭からまた西洋の船がやってきたのよ!」
お瀧はいま二二歳。もう旦那さんもいる。ひとあたりもよく働き者のよい奥さんで評判の女性で、連理のみならず街中のみんなと親しかった。
「西洋の船なんて、きょうび珍しくもないでしょう」
「漣、相変わらずぶっきらぼうなんだから。今回は驚くわよ! 船に乗って西洋の女性がやってきたの。『西洋婦人』よ!」
鎖国下の日本でも、長崎では貿易のために外国の船がやってくることはそう珍しいことではなかった。それでも男性ばかりで、西洋の女性がやってくることはほとんどなかったのだ。
「ああ、それで……」
連理は係船柱に座って一心不乱にスケッチをしている女の子を見た。お雪という絵描きの女の子。彼女は絵を描くのが好きで、もう二〇歳にもなるのに家事の手伝いのひとつもせず、年中ふらふらと、日本のあちこちを旅をしては珍しい風景やできごとの絵を描いて過ごしている。連理は彼女の絵が売れているところをいちども目撃した覚えがないが、主な買い手として記者や歴史家、あるいは服飾の職人がついているらしく、生活には困っていないらしい。
お雪もまた、絵の買い手に幕府の関係者に通じるものもいるなど、西洋の情報を伝えるためという理由があったので出島を見学することは少なからずあった。彼女はいちど見たものをまぶたの裏に焼き付け、目をつむって絵に起こすことさえできた。
ここには噂の『西洋婦人』らしき人物は見あたらないが、連理はおそらく、彼女はもう出島に入ってその『西洋婦人』の姿を覚えているのだろうと思った。
「……来年には〝西洋風の〟婦人衣装が発売するかもしれませんね」
連理自身は西洋の文化が好きでも嫌いでもなかったが、水無川旅館のお客さんの多くが神社の祭事に押し寄せる関係で、神社の参拝客が減ると売り上げに如実に現れてしまう。いくら幕府の高職がお得意さまにいても水無川旅館は黒字と赤字の瀬戸際なのだ。そして西洋の文化が伝来するたびに、神社の参拝客が減ることは統計的な経験則としておおよそ正しい事実だった。だからそれは彼女にとって生活に影響する切実な問題で、その手の話をするときの彼女の声色はぴりぴりしていて、ひとをこわがらせるにはじゅうぶんな重さがあった。
もちろん彼女の友人は慣れっこなのでいちいち気にはしない。
「つまんないこと言わないで! 以前和蘭商館に勤めていたブロンホフさんの奥さんで、ティティアさんというらしいわ。これから日本で一緒に暮らすんですって!」
「ブロンホフさん、帰ってきたんですか?」
連理の記憶では、商館のヤン・ブロンホフは数年前にオランダに帰国したはずだった。
当時ヨーロッパはフランス革命に始まる戦乱の渦中にあり、オランダは敗戦し、本国はフランスに、オランダ東インド会社はイギリスの統治下にあった。東インド会社は会社と言ってもさまざまな特権を与えられた勅許会社で、軍隊を所有するなど、もはや主権国家と言っても過言ではない存在に成長していた。日本のオランダ商館は東インド会社の支店にあたり、長らくオランダの国旗を掲げる残されたわずかな地域のひとつで、本国からはなんの連絡もないまま時間ばかりが経過していた。
ブロンホフは商館の代表として本国と連絡をとるために派遣されたが、その後音沙汰がなかった。
「そうなのよ。どうにも事情が複雑で、無事だったみたいね。かれ、今度ドゥーフさんに替わって商館長になるんですって!」
「へえ、すごいですね」
連理はつまらなそうに答えた。
「もー、すこしは喜んだらどうなの?」
「喜んでいますよ。そう見えませんか?」
「うん」
「……表情を練習しなければ」
「そういうのって練習とかじゃないでしょ! 感じたことを素直に表現すればいいのよ。そんなことより、みんな珍しい西洋婦人に質問責めよ! こんな機会もう二度とないかもしれないわ。連理もなにか聞いてみたら?」
「遠慮します。わたしは日々の生活で忙しいので」
とはいえせっかくなので、連理は商館のみんなに軽く挨拶することにした。
連理は個人的な興味でオランダ語を学んでいてそれなりに話すことができた。商館には日本語を流暢に話すことのできるひともいたし、あまり話す機会もなかったので生活するうえで困っていたわけではないが、彼女には西洋の書物を読みたいという動機があった。
それに彼女はひそかに貿易の際に通訳を担当する通詞にあこがれてもいた。もちろん、この鎖国下における通詞という職業は外国と幕府の情報のやりとりを担当する重要な役目を担っていて、彼女のような平民が勉強したところで簡単になれるようなものではない。それでもそのようなあこがれの感情は彼女にとってオランダ語を学ぶ大きな理由のひとつだった。
彼女が商館をおとずれると、正門のまえの手狭な庭で、なにやら険しい雰囲気で数人の大人がオランダ語で立ち話をしていた。
「……ですから、幕府の意向で妻子の滞在は認められず……」
「そこをなんとか、お願いできませんか。この商館で日本との貿易のために尽力することは、国王たってのご命令なのです。わたしは国王の命に背くことも、妻を邦に置いてくることもできません」
江戸幕府はオランダとの貿易およびそのための職務上の理由で商人や船乗りが来日することは認めていたが、ブロンホフの妻子はそれに該当しないため、幕府の役人とのあいだで揉めているようだった。
忙しそうだったので連理はすこし港の市場で私用を済ませることにした。
その途中ヤフトヘルトがなにやら興奮気味に暴れて、連理があわてて買い物中の露店から離れなだめるという事件が起きた。街中で鹿が暴れるとけが人が出るかもしれない。
「どうしたの? ヤフトヘルト」
鹿に人間の言葉が通じるはずもないが、連理はなんとなくたずねてしまう。
彼女はヤフトヘルトにけががないかを確認した。なにかにぶつかったりしたのかもしれない。しかしそのような様子はなかった。
「大丈夫だよ、ヤフトヘルト。心配しないで」
連理が頭や首をなでたりさすったりすると、ヤフトヘルトはだんだんと落ち着きを取り戻し、ふだんの静かな様子に戻った。
こうして彼女は安心し買い物を再開した。必要なものがまだまだ残っているのだ。
半刻ほど経ってから連理は商館に戻った。そこにはブロンホフとティティアがいた。
連理は商館のみんなにオランダ語でたずねた。彼女はかれらを旅館のお客さんとして、小さなころからよく知っていた。
「お久しぶりです、ブロンホフさん。ドゥーフさんに替わって次期の商館長に選ばれたと聞き及び、ご挨拶にと思い参りました。おめでとうございます。えっと、そちらは……」
連理は彼女のことを知っていたが、噂で聞いた、なんて言ったら初対面で失礼かと思いたずねた。
ティティアは答えた。
「妻のティティアです。えっと、あなた、こちらは?」
ブロンホフは答えた。
「ミズナシガワ旅館のお嬢さんです」
「初めまして。連理です。覚えていてくれたようで、うれしいです」
「初めまして、レンリさん。オランダの言葉がお上手ですね」
連理は急に褒められて、お世辞とわかっているとはいえ赤くなってしまった。
「勉強してるんです。ありがとうございます」
それからティティアはブロンホフにたずねた。
「ミズナシガワ旅館とはなんですか?」
「このあたりでは有名な温泉宿ですよ。ほら、あの山のうえに……見えますか?」
ティティアはブロンホフが指したほうを見て、社交辞令を述べた。
「きっと素敵なところなのでしょうね」
連理も作法にならってお礼を述べた。
「ありがとうございます。あ、せっかくなのでどうですか」
連理は旅館の土産物を見せた。
「降りてくるときはいつもちょっともってくるんです。地獄蒸しっていう製法でつくった燻製です。保存も利きますしおいしいですよ」
ふたりは目をあわせた。彼女の営業活動に気づいたのだ。もちろんそれを指摘するほど無粋なことはない。ティティアが答えた。
「ありがとうございます。お代はいくらでしょう?」
「お代はかまいませんよ。その代わりというわけでもありませんが、そのうちまた旅館をご利用ください。〝三泊四日、金一両〟です」
営業中の連理はいつものぶっきらぼうな彼女からは考えられないほど表情豊かで、笑顔を絶やさずなんのことはない会話の流れでさらりと恩を売る術に長けていた。