ミアに求めに応じ、ヴェリティは任意に捜査に協力するというかたちで彼女の身体検査を受けることとなった。
女同士でふたりきりとはいえ、身ぐるみ剥がれワイシャツ一枚で待つ女性がいるという状況は、あまりそういったことに関心を持たないヴェリティはともかく、ミアにとっては早くことを済ませなければという焦りをかきたてられるばかりだった。
「まだー?」
ヴェリティは調査は終わったということで先に返してもらったワイシャツを着て、部屋の冷蔵庫にあった飲むヨーグルトを飲みながらたずねた。
ミアは彼女の荷物も含めこれでもかというくらい粗探ししたが結局なにも見つからず、最後には彼女の渡航記録を見るに、ポートランドで偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドを入手することは不可能と結論づけて、しぶしぶ納得した。
なにか見つかったとすれば拳銃くらいのものだが、コンシールド・キャリーの許可証も同時に見つかり、ネバダ州法と照合すると合法のようだった。
予備のマガジンには、銀色の薬莢が特徴的な実包が装填されていた。
(シルバー・バレットが好んで使うと言う弾丸……やっぱり……でも、これ自体は汎用品で証拠にはならない)
ヴェリティは退屈そうにしている。
ほどなくしてミアは諦め、荷物を整頓して机に置いた。
「ごめんなさい。杞憂だったようです」
「くす。でしょうね」
ヴェリティはワイシャツのまま器用に下着をつけ服を着て、装備を戻した。
「信じてくれなくてもいいけど、ほんとにわたし、偽物のダイヤがあるなんて今日の今日まで知らなかったのよ。みっつどころかふたつあることも。多少は予想してたけどね」
ミアは悔しそうにしている。どうにもヴェリティがうそをついているようには見えないからだ。
「〝人を致して人に致されず〟相手がこうしてきたらわたしはこうする。それを徹底するだけで状況を有利にすることはできるってだけ。なにもかも知り尽くしている必要はないけれど、常になにを知っていてなにを知らないかを自覚して、そのときどきで最善の行動をとることは大事だと思う。たとえばさっきみたいにすべての『前提』を疑ってかかるのは悪くないわ。でも、どんな『前提』を疑いどんな『前提』を疑わないかということは、きっと、センスのいることなのね」
ヴェリティのなにか含みのあるもの言いに、ミアは不安を感じた。
「それって、どういう意味ですか」
「さて、ね。きっとあなた、まだどんな『前提』で考えているかを自覚するということに慣れてないんだと思う。たとえばあなたにあげたその『偽物のダイヤ』……あなた、それが『偽物』だっていう『前提』は、疑ってないでしょ?」
ミアはすこし考え、答えた。
「これが『偽物』の場合、あなたは『本物』をオークションに出品せざるを得ないから、盗めない。よってわたしにとっては問題ない。またこれが『偽物じゃない』場合あなたは『偽物』をオークションに出品することになるけど、わたしが『本物』を持っているわけだから、やっぱり盗めない。だからいずれにしても問題ない。あなたがわたしに『本物』を渡すメリットってないと思う」
「でもデメリットもあんまりないわ。いいの? わたしは『気まぐれ』なのよ。メリットもデメリットもほとんどなかったら、完全にランダムな行動をとるかもしれないわ」
ミアは冷や汗をかいた。実際ヴェリティの行動は妙なところがある。敵とか味方とか、そういう基準では測れないものがある。
「まあ、メリットとかデメリットというのは立場や視点の違いにすぎないしね。あなたにとってはメリットもデメリットもないことでも、わたしにとってはあるのかもしれない。そういうふうに『それをするメリットがない』という『前提』を疑ってみるのも、きっと大事だと思うわ。その前提があなたがその場合にどうなるかを考慮せずに考え、行動する根拠になっているわけだから、その前提が崩れれば容易にすべての計画が水泡に帰すの。『メリットってないと思う』で短絡的に済ませずに『メリットがあるとすればどんなものだろう?』なんて、常に思いを巡らせるとかね。これ、けっこうまじめな忠告よ? 短いあいだだったけど楽しい時間を過ごしたひとりの友人としての、ね……」
出品担当者のヴェリティの検品を受けたあと、クイーン・オブ・ダイアモンドは会場の競売品の保管室に運ばれ、厳重な警備のなか静かに二週間後の開演を待つこととなった。
ミアは会場を出るとき、偽物とはいえ競売品そっくりなダイヤをポケットにいれているので軽い手荷物検査でもされたらと思うと心臓がばくばくしていたが、さいわい競売品はケースの開閉状態や競売品の保管室の防犯カメラなどで常に管理されていたため、会場の出入りでは金属探知機のゲートをくぐる程度の簡単なもので、とくに呼び止められることもなくすんなりと外に出ることができた。
ミアはヴェリティに渡された偽のダイヤを持ったまま飛行機に乗り、ペンシルベニア州の自宅へ戻った。国内便だったことで荷物検査はそこまで厳重でもなく、また原石であることから素人にはダイヤとひと目ではわからないこともあり、地質学的な研究の鉱物資料と説明すると、出所をとくに問われたりすることもなかった。
彼女は疲れたこともありしばらく休暇をとったり自宅作業をして過ごし、証拠品として偽のダイヤを当局に提出するかどうかぐずぐずしているうちに、あっという間に二週間が経過してしまった。
その期間にミアは自宅で、ヴェリティが言ったように、もしこれが本物だとすると彼女にいったいどんなメリットがあるのだろうかとか考えた。たとえばヴェリティがみずから盗むことは困難だと判断し、まずミアに会場のそとに持ち出させ、それから盗む計画なら筋は通る。会場は民間の警備会社が管理しているからそう易々と本物のクイーン・オブ・ダイアモンドを盗むことはできないが、考えてみると、ミアの自宅のほうがずっと侵入は容易なはずなのだ。
(バレーさんの言う『メリット』ってひょっとしてそれなのかな。だったら辻褄はあう。でも、だったらそろそろ襲ってきてもおかしくないのに、そういうわけでもなさそう。というかバレーさん、あたしの住んでるところ、知ってるのかな……)
ミアは仕事柄非常に出張が多いし、本部勤務のときもホテルを借りているため、自宅で過ごす時間は長期休暇を除いてほとんどないが、書類上の住所はフィラデルフィアということになっている。学生時代からひとり暮らしをしているのだ。彼女は秋休みもあったしシルバー・バレットからクイーン・オブ・ダイアモンドを守るということはいちおう達成された気がしたので、ここ一週間ほどは休暇をとっていた。
オークションを来週に控えミアは連邦裁判所をおとずれていた。FBIは基本的に令状主義で、令状にない捜査はできないのだ。シルバー・バレットからの予告状があったのでヴェリティの身辺調査は可能だった。それでも令状には事細かにミアに許可された権限が記載されていて、たとえば身体検査はできなかった。
ミアは判事にシルバー・バレットの調査過程で得た証拠を並べ、言った。
「……以上の証拠をもちまして、海賊航路の捜査のために、別添資料に記載の銀行口座の凍結、差押、捜査令状を申請します」
判事は資料に目を通し、冷静に答えた。
「令状を発行するには証拠不十分だ」
「ですが……」
証拠が足りず裁判所から令状が下りないというのはよくある話だった。捜査令状がないと捜査できないが、捜査しなければ捜査令状を申請するための証拠が集められないという『卵と鶏』の問題があり、ミアはいつも煮え切らない思いをしていた。
判事は続けた。
「しかし条件付きなら可能ではある。この発言にあるように、当日あるいは近日中に預金残高に急激な変化が現れれば、当該口座が犯罪に利用された可能性は高いだろう。そこでまず一週間のあいだ預金残高など、個人を特定しないような口座の情報に関する捜査令状を発行する。そして別に、この捜査によって実際に預金残高に急激な変化が見られた場合にかぎり、という条件付きで差押令状をだそう」
そしてついに、オークション当日。ミアは休みだったし、また会場は民間警備会社だけでなくラスベガス市警察から連邦捜査局まで集まっていて、彼女ひとりが行ったところでできることがある気もしなかったのであまり会場に行こうとも思えず、一方でどうなるかが気になってもいたので、自宅で中継を見ていた。
ラスベガス・フォールターム・オークション会場には世界中の大富豪のみならず非合法な行為で生計を立てているものも多く集まっているようで、数分おきに暴れるジャンキーが市警察に組み伏せられてなおだれも気にも留めないという、違和感の基準というものがぜんぜん異なる世界が展開されていた。
暴漢と警官の応酬はまだかわいいほうで、この分だと騒ぎにまぎれて話題にもならないような、もっと暗い世界が広がっていることだろう。
中継でさえそんなふうなのだから、カメラに映っていないところでなにが起きているかなど、想像したくもないことだった。
そんななかでついに開演時間となり、肝心の競売が始まった。
《紳士淑女のみなさま、ようこそお集まりくださいました。今年もラスベガス・フォールターム・オークションにお集まりいただき、誠にありがとうございます》
司会者がひとしきり挨拶とスケジュールの説明を済ませると、ひとつひとつの競売品につぎつぎととんでもない値がつけられた。まさにミアには空のうえの世界だった。
そして午後四時四五分、クイーン・オブ・ダイアモンドの競りが始まる。
《さあ、やってまいりました今年の大目玉! 昨冬にシベリアのダイヤモンド鉱山で発掘された、一〇〇〇カラットのダイヤ、その名はクイーン・オブ・ダイアモンド!》
スヴェトラーノフ科学アカデミーの競売担当者。ヴェリティ・A・バレー。ミアもよく知っている。彼女はマイクをとって、言った。
《この大きさのダイヤというものは、世界全体で見ればそう珍しいものではありません。しかし産地も含めて考えると、どうでしょう。これまでロシアで見つかった最大のダイヤは、ミール鉱山で見つかったものでおよそ三五〇カラット。一〇〇〇カラットもの大きさのダイヤは、人類史上、サブサハラ・アフリカで発見されたものばかりです。シベリアで発見されたこのダイヤの存在は、単なる大きなダイヤという以上に、地質学的にこれまでの科学史を塗り替えるほどの、大きな意味を持つことになるでしょう。スヴェトラーノフ科学アカデミーは新時代の科学者の養成を、現代における最重要課題のひとつと認識し、多大な寄付と投資を行い、世界の進歩に尽力しています。クイーン・オブ・ダイアモンドの競売で得た利益は、公益と貢献のためにもちいることを約束しましょう。以上をもって説明を終了します。開始価格は一〇〇〇万ドル。入札開始です!》
ヴェリティの合図とともに競売が始まった。ミアは彼女の説明を聞いて、なるほどと妙に冷静に感心していた。
(こうやって付加価値をつけるのかあ、うまいなあ)
一〇〇万ドル単位で価格が更新される。『ミリオン』が価格の単位で、一ミリオン、二ミリオンと叫ばれる。大富豪たちのあいだでは〇・五ミリオンなんて中途半端な数字での入札はかっこ悪いらしい。
二五〇〇万ドル程度までは入札者の顔ぶれに多様性があったが、三〇〇〇万ドルからはほとんど数人になって一〇〇〇万ドル単位での入札が繰り返されるチキンレースだった。四〇〇〇、五〇〇〇、六〇〇〇万ときたところで、どうもチェン・スーシューはしびれを切らしたのかいきなり一億と入札して会場が静まり返り、そのまま落札が決定した。
中継でチェンは楽しそうにインタビューに答えていた。
《いやー、こうも簡単に競り落とせてしまうと拍子抜けね。バレーくんも言っていたが、これは単なる大きなダイヤ以上に価値のあるものだ。これから五〇年はかけて回収すれば釣りがくるような投資だと思ってるね》
しかしすぐに彼女は表情を曇らせ、なにやら怪訝そうにつぶやいた。
《おや……?》
司会はたずねた。
《どうかされましたか?》
《いや、なんでもないね。ともかく楽しい時間をありがとう。また来年も楽しみにしてるね》
ミアはそういえば、と我に返り、ヴェリティと話したときに残したメモを探した。まだ海賊航路に関する仕事が残っているのだ。
海賊航路の調査は連邦捜査官としてのものではない。形式的にはヴェリティの依頼で、ミアは連邦捜査局で正式に海賊航路の捜査を任ぜられたわけではないのだ。
もちろん、連邦捜査局で海賊航路の捜査本部が設置されたことは事実だし、そういった捜査を連邦捜査局としてしているということも、また事実ではある。しかしミアがそれを命じられたわけではないし、完全にミアの独断で行っていることだ。
それはミアにもわかっている。職権濫用だとかとがめられたら言い逃れできない。
それでも、ミアはここでなにもしないということが正しいようにも思えなかった。
(……いいの? ミア……ううん……きっと長官もわかってくれる。『結果的に』それが正しいことであれば……)
贈賄罪。
ミアの脳裏によからぬ未来が浮かぶ。
(だめ! ミア……。お金は、受け取らない。でも口座は凍結する。だってきっといま、それをできるのはあたしだけ……あたしにしかできないんだから……)
ミアは震える両手でメモをぎゅっと握り、靴を脱いでソファに正座し、深呼吸をして、ついに銀行に電話をかけた。
《はい、こちらニューイングランド・プライベートバンクです》
《連邦捜査局のミア・ウェストンです。御社のある銀行口座が犯罪に利用されている疑いがあり捜査しております。裁判所から郵送で捜査令状が発行された旨、また、その結果の如何により条件付きで執行可能な差押令状が発行されたことは伝わっているはずです》
係員は答えた。
《たしかに承っております。当該口座の預金残高の推移をここ一週間監視し、ある閾値を越えた場合に自動で出金を一時的に制限するよう設定してあります》
ミアはごくりとつばを呑んだ。
《結果を教えてください》
《ここ一時間以内に急激な変化が見られます。差額は……二億ドル》
ミアはすこし興奮気味になっていた。
《それならじゅうぶん差押令状の条件を満たせます。当該口座におけるいっさいの取引の凍結措置を要請します》
ニューイングランド・プライベートバンクの係員と電話で口座が凍結されたことを確認し電話を切ってほっとひと息ついたあと、どういうわけかいつにもなくうきうきした気分になり、ミアはソファのうえでぴょんぴょん飛び跳ね年甲斐もなくはしゃいでしまった。
(やった! 大手柄だ。あとは長官に報告して……)
しかし喜びもつかの間、今度はミアの電話が鳴った。同期の女の子からだった。
「ミア! 大変……が……」
彼女はいまオークション会場の警備にあたっているはずで、背後からいろいろな種類がまじった騒乱の雑音が聞こえ、彼女の声をかすませている。
とにかくあわあわしていて、ただごとではないことはミアに伝わった。
「なに? 落ち着いて。なにがあったの?」
「ミア、ミア、とにかく……逃げて!」
「え? どうして……」
そのときミアの部屋の扉がどんどんと叩かれ、警官の怒鳴り声が聞こえてきた。
「ミア・ウェストン! 連邦捜査局だ」
ミアはびくりと驚き、思わず電話を落としてしまった。
「窃盗の容疑がかかっている。扉を開けろ!」
連邦捜査局は大きな組織なので、ミアの知らないひとも大勢いる。それ以上に顔見知りには情が移ってしまうから、身内の捜査をする場合利害関係のない第三者が捜査にあたるものだった。
ミアにかけられた容疑はクイーン・オブ・ダイアモンドの窃盗で、それは実際、彼女の自宅から見つかった。
取調室で、彼女は会場の防犯カメラの映像を繰り返し見せられていた。すべての部屋にカメラがついているわけではなく、基本的には大勢が出入りする廊下やラウンジ、競売品が保管される場所だけだ。
廊下の映像を時系列順に並べるとヴェリティが『偽物』のダイヤを持って部屋に入り、そのあとミアが『本物』のダイヤを同じ部屋に運んだ。部屋をでるとき、ミアはダイヤを持っておらずヴェリティはダイヤを競売品の保管室へ運ぶ様子が映っている。
その部屋のなかはあくまで出品者が借りているプライベートな空間なので映像は残っていない。
「落札者のチェン・スーシューがダイヤが偽物ではないかと言い出した。ダイヤは特別な設備のある施設に運ばれ、厳密な検査が行われた。結果は黒。要するに、偽物だった」
ミアは顔面蒼白で、さーっと血の気が引いていた。
「うそ……」
「ヴェリティ・バレーが心当たりがあると言った。きみが部屋に現れたときにはたしかに『本物』はあったと」
「……ぅ」
ミアは涙を堪えられず、手のひらで歪む視界を隠して、ただひたすら悔しいきもちを心の奥底で毒づいた。
ここでの発言は、裁判所で証拠として扱われる可能性があるのだ。
「検査の結果、きみの部屋にあったダイヤは本物。証拠は揃っている。なにか、言うことはあるか」
ミアは黙していた。黙秘権がある。どういった状況でも、黙っていることはできる。
「きみを洗って驚いたよ。日常的な虚偽報告、職権濫用の数々。連邦裁判所を欺いて差押令状を申請、二億ドルの着服、か。金はどこへやった?」
ミアはそれを聞いて我慢ならなくなった。とくに、やっていないことを責められるのはお門違いというものだ。
「あたしは、お金は盗ってません。確認してみてください」
「確認? こういうことか」
ミアはそれを見て、青ざめた。
ミアが凍結した銀行口座はすぐに解凍され、二億ドルを全額引き落とした記録があったのだ。
「あっ、あたしじゃない」
「だが銀行との通話記録がある」
「あたしは凍結を要請しただけです。引き落としてなんて……」
捜査官は肩をすくめた。
「人間はうそをつく。証拠で考えよう。時系列的にはきみが口座を凍結したすぐあとに、オークション会場でクイーン・オブ・ダイアモンドの大騒ぎがあった。そこできみに嫌疑がかかり、裁判所はきみの捜査に基づいて得られた資料の証拠能力を一時的に制限した。これによって口座は即日で解凍された。そしてすぐに引き落としがあったんだ。だがだれが引き落としたのかがわからない」
ミアは涙を浮かべて、弱々しく言った。
「……あたしじゃない……」
尋問にも近い取り調べはすでに三時間にも及んでいて、ミアは精神的にも体力的にも、すでに限界がおとずれつつあった。
それを見ていた長官が合図をして交代し、ミアのもとに現れた。
ミアはすでに目元を赤く腫らしていて、長官は彼女の隣に座り、落ち着いて言った。
「きみがやったわけではないことは、わかっている。しかし証拠はそうは言っていない。なにか反証になる証拠を提示しなければ、このままじゃきみが刑務所送りだ」
ミアはすでに長官さえ信頼できないどん底の精神状態に陥っていて、なにも答える気になれなかった。
「……冷静に聞いてくれ。捜査局じゃ、シルバー・バレットの正体はきみだって思うものが大勢いる。シルバー・バレットの予告状に始まる一連の捜査は、すべてきみの自作自演だってね」
ミアはぞわぞわと鳥肌が立つ思いをした。
それでも、彼女はなにも言葉を発すことができなかった。
「問題は、仮にそうだとしてもなにも矛盾しないってことだ。客観的に考えれば、きみがシルバー・バレットだとすればすべての辻褄はあう。あの部屋のなかでなにがあったのかはきみと彼女しか知らない。だから中立的には、きみの意見も、彼女の意見も同じように聞かなければならないんだ。いくらきみが『騙された』と訴えても彼女が『騙してない』と言ったらそれまで。きみは経験したことのすべてを報告してはいないだろう。当局にはきみを守るための『証拠』がない。『秘密』をつくるってことは、そういうことなんだ。もちろん、きみにはきみの考えがあり行動していたことはわかる。昇進のためには悪者を捕まえるだけでなく、仲間内での競争でも勝たなくちゃならない。だがそれで味方同士で争ってどうする? それこそ敵の思うつぼだ」
疲れきったいまのミアには、それがたとえ正しいとしても、長官の言葉のひとつひとつが鋭いナイフのように彼女の心を傷つけていた。
「つまりこのままなにもしなければ謎の怪盗シルバー・バレットの正体は解き明かされ、本物のクイーン・オブ・ダイアモンドは見つかった。きみは二億ドルを着服し、その行方をついに喋ることもなく、獄中で生涯を終える。こうなってしまう。これじゃあただ宝石を盗まれるよりずっと悪い。『本物の』シルバー・バレットの勝利だ」
ミアはもう聞きたくなくて、耳をふさいだ。長官は彼女の細い腕をとって聞かせた。
「せめてきみがやっていないことの証拠がなにかひとつでもあれば、きみは救える。それはきみにしかできない。時間も人員も限られている。なにか考えるんだ」
ミアは涙があふれてきて、泣き崩れてしまった。
チェン・スーシューは無事に二億ドルが回収できて満足で、まだ時間が余っていたのでラスベガスの観光を満喫していた。
「連邦捜査局が要請した口座の凍結処理によって、航路の処理中にエラーが発生し内部的に自動で待機状態に遷移していたようだ。それで出金までの時間が稼げた。それでも解凍から三〇分しか猶予はない計算だったが、まあそこはうちらの得意とするところだ」
しかしチェンが落札したものはあくまで偽物。ヴェリティは最後の精算をした。本物のクイーン・オブ・ダイアモンドを回収したあとで改めてチェンに譲渡する姿勢を見せる。しかしチェンはこう断った。
「あれほどのおもしろい経験をしたのは久しぶりだった。それだけで一億の価値はある。第一、売買が成立した時点で貸し借りはなし。偽物を掴まされたとして、それは下調べが足りなかったうちの落ち度だ。バレーくん、そいつはきみが持っていくといい」
愉快そうなチェンを見て、ヴェリティもなんだか楽しいきもちになってきた気がした。
「ありがとう」
しかし彼女はどういうわけか心が晴れない気がした。ヴェリティにしては珍しくそれは表情からも感じられ、チェンは形式のうえではあるが、心配する素振りを見せた。
「どうにも落ち着かないみたいね」
「ええ」
「まさか、あの子のことで気でも病んでいるわけじゃないだろうね?」
「いえ、ただ、むなしいの。無性に……ぽっかりと穴の開いた空っぽの器に、たくさんの水を注いでは端から零れていくような……なにかをやりとげたあと、いつも感じること」
数日後連邦捜査局から要請があり、ヴェリティはミアのいる留置場へ面会に訪れた。ミアが彼女を呼んでほしいとしきりに訴えたことによる措置だった。
ガラス越しにふたりは顔をあわせる。防音になっており目のまえにいても会話は電話で行う。ヴェリティは受話器をとった。
「なにがあったの?」
ミアは彼女のことを一時は好きになりかけたが、この状況ではそんな感情は立ち消えてしまっていた。それでも言葉遣いに気をつけなければ、彼女自身の立場を危うくする。
ミアは身の上を告白した。
「この世界に味方なんていない。助けなんてない。だからあたしは……もし世界でたったひとり孤独になることがあってもひとりで生きていけるくらい、強くなくちゃいけない。最後の最後であたしを救えるのはいつだってあたしだけだって。あたしはずっとそういう信念を持って生きてきました。それはいまも変わってはいません。でも……」
ヴェリティは受話器を持って、ただ彼女の言葉を静かに聞いていた。
「……それって元気なことが『前提』の話です。実際には人間は一生元気でいられるわけじゃない。状況次第では、だれかを頼るのも大事だって思ったんです。病に伏せたときのように身動きができなくなり、なにもできなくなったときには……」
そして彼女は懇願した。
「……あたしじゃないって、証言してください」
ヴェリティは冷たい表情で、黙っていた。
ミアは弱々しく続けた。
「お願い……」
ヴェリティは答えた。
「わたしになんの得があるわけ?」
ミアは涙を浮かべた。
「……そうですよね。あなたは、そういうひとでした。わかってたのに……」
「ミア……」
ヴェリティは彼女の演技力には感心していた。
「……悪いけど、あなた……中途半端なのよ。善人にも悪人にもなりきれない。なにごとでもそうだけど『中途半端』ってのはだめなの。やるなら徹底的によ。あなた、わたしのこと『信頼』してないでしょ? だから演技してる。『演じて騙す』ということはひとを『信じて頼る』こととは正反対の行為よ。あなた、この期に及んでまだ『自分の力』だけでなんとかしようとしてるのよ。自分の力だけじゃどうにもならない状況なのに。わたしはそういう考え方、好きだけどね」
ミアは悔しさで唇を噛み、うんうんとうなずいていた。
「でもね、それができるのって『悪い子』だけなの。あなたは『悪い子』じゃない。でも『いい子』でもない。だから『いい子』みたいにひとに助けてももらえないし『悪い子』みたいにひとを利用することも、うまくできない。最後の最後で気がとがめるなりして、躊躇しちゃうでしょ? 相手を『騙す』ってことができないくらいには、たとえできても『それを気に病んでしまう』くらいには……あなた、『いい子』なの。そういうきもちの揺れ動きって『不自然』だし『うそをついてる』って思われる。だから『いい子』の演技は中途半端。中途半端な演技じゃひとを騙せない。騙せてないから勝てないし、頼ってもいないから助けてももらえない。なにごともやるなら『徹底的に』よ。手品は『自然に』やるのがコツなの」
ミアは痛いところを突かれたと感じていた。彼女の目頭に熱いものがこみあげてきて、唇を噛んでひどい言葉を必死にのみこんだ。ここまで面と向かって徹底的に言われても、生殺与奪を相手に握られていると言っても過言ではないこれほど不利な立場では、彼女は従順にならざるを得ず、なにか言い返すことさえ、できなかった。
「わたしたちもともとそういう関係だったじゃない。なにか求めるならなにかさしだす。いまのあなたはなにをさしだしてくれるの?」
「……なにも……」
「でしょ。あなた、わたしにとってもう、意味ないのよ。でもね、助ける意味がないのと同じくらい、助けない意味もないのよ。だってあなた、わたしにとって『警戒』する必要がないほど『弱い』もの。でも『弱いけどかっこいい』とは思うわ。ただ助けを待つだけじゃなくて『あなた自身のために』小さなことでもこうやって行動を起こしたんだから。まえにも言ったけど、わたしは『気まぐれ』だからね。期待はしないでほしいわ。どっちにしたってね」