時はあっという間に流れ、夏は過ぎ、秋が顔を見せていた。オークションを六週間後に控え、関係各所の行動も慌ただしくなった。
連邦捜査局の事前の準備によって、ウラジオストクからは三隻の同型輸送船が出港する手はずとなった。二隻には偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドが積載され、ミアは本物のそれの警備を、先輩とペアで任せられることとなった。ミアが抜擢された理由は、主に彼女がシルバー・バレットの素顔を知る唯一の捜査官だからだった。
警備は出品者にさえ知らされず極秘に行われることとなった。『敵を騙すにはまず味方から』というように、シルバー・バレットに情報が漏洩する可能性を最小限に抑えるためだ。偽物の制作は中央情報局に依頼され、利害関係のない技師を見繕い現地で納品される契約となった。
本物のクイーン・オブ・ダイアモンドを載せた船はシアトルへ向かい、ほかの二隻は、ポートランドとロングビーチへと舵をとる予定だった。
ミアはここ数週間のあいだ毎週のように飛行機であちこち行ったりきたりしていて寝不足になりつつもまた飛行機に乗り、ロシアへ向かった。ウラジオストクには三隻のそっくりな船が入港しており、港でミアは何気なく女性に話しかけられ、なんでもない民家にお世話になった。女性は中央情報局の協力者で、そこはロシア情報網の一端だった。
そこでミアは精巧に制作されたクイーン・オブ・ダイアモンドの偽物を見せてもらった。ミアは本物のクイーン・オブ・ダイアモンドをまだ写真でしか見たことがなかったが、それを抜きにしてもそれは肉眼では本物と区別できないほど、それ自体がある種の芸術作品だと言われても納得するほどの出来映えだった。
「すごい」
ミアは宝石が嫌いでなかったのもあり、この偽物とはいえすばらしい芸術作品を見て目をきらきらさせていた。
「ダイヤモンドの鑑定にはいろいろな方法があります。古典的には鑑定士の技術によるものもあり、これは特別な設備もなく可能なため現在でも簡易的な検査では重宝されています。その程度であれば容易に欺けるでしょう」
「でも、その、X線とかで調べるものもあるでしょう」
「はい。そういったダイヤモンドの物性を検査するものは偽物では難しい。究極的には本物のダイヤを用意するしかありませんし、それは定義的に偽物ではありません。しかし方法がないわけではありません。たとえば、本物のダイヤで表面処理をするなどです。そのようにすれば、市販の検査機程度であれば誤検知を促せます。使ってみてください」
ミアはダイヤモンドの検査機を受け取った。いかにも安物で、ほんとうに判別できるのかさえあやしい。
彼女は試しにそれを偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドに近づけてスイッチをいれた。音が鳴り、それは本物のダイヤと判定された。
ミアはあきれ顔になってしまった。
「第一、こんなおもちゃみたいなものでほんとに鑑定できるんですか?」
「たしかに見た目は安っぽいですが、それなりにきちんとした道具ですよ。たとえばガラスのコップに使ってみてください」
ミアは言われたようにした。それはダイヤではないと判定された。
女性は思いついたようにイヤリングと人差し指の指輪を外した。
「こう言うのもなんですが、指輪は本物のダイヤで、イヤリングはガラスです。見た目にはほとんど区別がつかないと思いますが……使ってみてください」
ミアは失礼じゃないかとどぎまぎしながらそのようにした。指輪はきちんとダイヤと判定され、イヤリングはそうはならなかった。
女性は指輪とイヤリングをつけなおした。
そういえばと思ってミアは左耳の三日月のイヤリングを外した。それには本物のダイヤが使われていると購入時にお店で聞いた覚えがあったのだ。実際それはダイヤと判定された。
「なるほど、たしかに結果は正しそうです」
ミアは検査結果に満足だった。女性はすこし説明した。
「そういった道具はダイヤのある種の物性を利用して、その反応でもってダイヤか否か判定するようにつくられています。よってそう反応するようにさえ加工すればおおよそたいていの道具は誤判定します。表面処理に数カラットのダイヤは使用しています。でも中身は完全な別物。もちろんそれを見越し大がかりな道具でより詳細に内部を検査することもありますが、CIAの加工技術を対策できる設備のある機関は、世界でも限られています。世界企業や大富豪が一挙に集まるオークションとはいえ民間企業が主体のイベントで見破られることはないと考えてよいでしょう」
ミアはウラジオストクからシアトル行きの船に乗った。貨物船というものは客船よりもずっと過酷だ。人間が心地よく航海することよりも大量の貨物を迅速かつ安全に運ぶことに特化しているし、そんな船で太平洋を横断する航海は、運河や湖で遊覧船に乗って観光することとはわけが違う。ただでさえ経験豊かな船乗りでないと厳しいうえに、いろいろな精神的、体力的な疲労もあってミアは沖にでてすぐに酔ってしまい、船乗りの目のまえで倒れ寝台に運ばれ、横になってぐったりとしてしまった。
船員の男性がミアに酔い止め薬を飲ませて、航海が終わるまで安静するように言うと、ミアは苦しそうに立ちあがろうとした。
「それじゃあ、この船に乗った意味があまりないんです」
ミアが連邦捜査官ということは秘密で、この船には単に興味本位のふたり旅という名目だった。先輩はあくまでも捜査のため、ミアを置いて貨物室も含め船のあちこちを調べていた。
船員は肩をすくめた。
「貨物船で旅をするもの好きは、そう少なくはないがね。まあだいたい最初はこうなる」
揺れがひどく、ミアはまた吐き気を催しあわてて袋を口にもってきた。もう吐くものも残っておらず、胃液と気持ち悪さだけがこみあげてきた。
「それにしてもひどいやつだな。彼女がこんな状態でも放っておくなんて」
「いえ……」
ミアは申し訳なく感じた。
「……それは、いいんです。ただ……」
船乗りのふしぎそうな視線をミアは感じたが、秘密の捜査だったので、なにも喋れずにいた。
「……いえ、なんでもありません」
ミアは船で四週間ほど常に襲撃を警戒していたが、おもしろいほどなにもなかった。
乗船者の記録にもヴェリティの名前はなく、潜水艦や航空機での襲撃といった奇天烈な展開もなかった。また、もともとのロングビーチへの船にも連邦捜査官は配置されたが、その報告でもとりたててなにも起こらなかったと言う。
(杞憂だったのかな)
ミアは気が抜けてしまった。
しかし作戦は継続されていて、ロングビーチの偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドはこのままオークション会場まで運ばれ、そこでなにもなければ、初めてシアトルの本物のクイーン・オブ・ダイアモンドと交換される予定だった。
船から降ろされたコンテナはそのまま鉄道で会場近くまで運ばれた。ミアは貨物列車に乗りクイーン・オブ・ダイアモンドの近くにずっといて、ここでもまた、まじめに警備をすることがばかばかしくなるほど、なにもなかった。
オークションまで残り二週間を切った。ついにそれは会場まで運ばれ、まずは出品者に渡され、運ばれる途中でダイヤに傷がついていないだとか、偽物とすり替えられたりしていないかなどを確かめたのち、会場で民間の警備会社の管理のもと厳重に保管され、静かにオークション当日を待つ予定だ。
一〇〇〇カラットのダイヤは宝石としてはとても大きな部類だが、鉱石としては二〇〇グラムの手のひらにおさまる程度のもので、度胸さえあれば、ポケットにいれて盗むことも不可能ではない。
もちろんミアにそんなつもりはないとはいえ、本物のクイーン・オブ・ダイアモンドを間近で見るとよからぬ想像をするのも、またおかしなことではなかった。
叩けば割れてしまいそうな頼りないガラスケースにいれられたダイヤを運ぶということは、その値打ちを考えるに、それだけで人生が終わってしまいそうなほどの緊張感のあるものだった。
ミアは白い手袋をして、アルミワゴンにクイーン・オブ・ダイアモンドの入ったガラスケースを載せて、それを出品者に届けることになった。
ミアは出品者がスヴェトラーノフ科学アカデミーだということは知っていたが、実際の担当者がだれかを知らなかったので、会場で名簿を調べていた。
そこで初めて、彼女は目を疑った。
(……そんな……待って。どうしよう)
ミアは悩み、オークションの運営委員会に電話をかけ、相談した。
《はい、こちらラスベガス・フォールターム・オークションです》
《ミア・ウェストンです。スヴェトラーノフ科学アカデミーの出品者についておうかがいしたいことがあります》
《どうぞ》
《この……競売担当者のヴェリティ・バレーという女性についてですが、彼女は正式に、科学アカデミーに依頼されているのでしょうか》
《少々お待ちください》
数秒のあいだ、音楽が鳴る。
《はい。記録ではそうなっています》
ミアは記録が改竄されているのだと感じた。
《科学アカデミーに直接連絡をとって、確認していただけないでしょうか》
《理由はなんでしょうか》
《緊急なんです》
《正当な理由もなく、委員会が参加者や出品者同士の仲介をすることはできません》
ミアはいいから連絡をとってほしいとすこし冷静さを欠いていたが、たしかに、相手の立場に立ってみると理由もなしに確認されたら失礼だと感じるだろうし、理由なしに連絡することもできないだろう。
ミアは覚悟を決めて言った。
《あたしは連邦捜査局のミア・ウェストンです。事情があり秘密捜査にあたっています。記録が改竄されている可能性があります。連邦捜査局の権限で捜査協力を要求します》
一方そのころ、ヴェリティは当初の予定通り、ロングビーチを経由して輸送されてきたクイーン・オブ・ダイアモンドの検品をしていた。唯一の予定外の行動は、配達を待つのではなく彼女みずから競売品の集積所に向かったことだ。
それが偽物だと知っているふたりの連邦捜査官にとっては困った事態だった。競売会場を連邦捜査局が張っているということは極秘事項だったし、偽物がここにある理由を説明することもできず、かと言って申し出られれば検品を断ることもできなかった。
捜査官は配達員に扮しており気が気でなかった。かれらは冷や汗をかきつつヴェリティと一緒に現れた鑑定士の言葉を待っていた。
「これはまちがいなく本物ですね」
ラスベガス・フォールターム・オークション運営委員会の鑑定士は自信満々に言った。
ヴェリティはわざとらしくほっと胸をなでおろした。彼女は髪を降ろして眼鏡をかけ、清潔な白い手袋をした黒いタイトスカート姿。物腰も柔らかく口調もていねいになり、感情豊かで愛想がよく、ふだんの彼女からは想像ができない。いまの彼女は科学アカデミーのオフィス・レディになりきっていた。
「そう、よかったわ。なにしろ『よからぬうわさ』を聞いていたものですから」
「というと?」
「シルバー・バレットという怪盗がこのクイーン・オブ・ダイアモンドを狙っている、というものです。その筋の話ではそのために連邦捜査局が張っているとも」
配達員に扮した連邦捜査官たちはぎくりとした。
「ここまでご苦労様です、配達係さん。せっかくなのでこのまま持っていきますね」
冷ややかな態度でクイーン・オブ・ダイアモンドを持って行こうとする彼女を、捜査官たちはあわてて止めた。
「お、お待ちください。繊細なものですしケースはそこそこの重さがあります。落として割ったらどうします」
「わたしたちにお任せください」
ヴェリティは頬を膨らませた。
「失礼ですね。これでも事務的な仕事でいろいろと運ぶのは慣れてるんです」
そこで彼女は不審そうに目を細めた。
「それともひょっとして、あなたたち『シルバー・バレット』と関係あるやからじゃないでしょうね」
捜査官たちは直立不動になった。そうではないと証明はできないのだ。
それ以上に彼女がシルバー・バレットを警戒しているのであれば予定より早くダイヤを回収しにきたことにも説明がついた。
ふたりの捜査官はヴェリティに聞こえないよう、小声で話した。
(おい、どうする。シルバー・バレットを捜査しているウェストンの報告では、輸送中に襲撃の可能性があるって話だったじゃないか。ここまでなにもなかったのがむしろ不自然だったんだ。あるいはひょっとして……)
(……もとより偽物。彼女が仮にシルバー・バレットだとしても問題はないばかりか証拠になる。そうじゃないとしても、おれたちに責任はないさ。上にかけあってアカデミーに事情を説明してもらおう)
さてヴェリティはオークションの会場の一室で偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドを机に置き、刻一刻と動く腕時計の針を見ながら『本物の』クイーン・オブ・ダイアモンドが届くのを待っていた。もともとこの部屋に、この時刻に届けてくれる予定だったのだ。
予定の一五分まえに、インターホンが押されて彼女がやってきた。
扉のロックを開き現れたのは、悔しそうに唇を噛むウェストン捜査官。
「……スヴェトラーノフ科学アカデミーのミス・バレー。クイーン・オブ・ダイアモンドを、お届けにあがりました」
ミアは何度も確認したが、どうやらヴェリティが正式に科学アカデミーから委託されていることは事実のようだった。彼女が悔しいと感じたのは、みずからの手で本物のダイヤを『敵』の手にむざむざ運んで届けなければならないという、その事実だった。
だからミアはヴェリティが、ひょっとしたらダイヤの移動経路が変更されていることに気づいているのかもしれないと思った。ところがヴェリティは意外そうで、ミアの登場を予想だにしていなかったという感じだ。
しかも、その隣には『偽物の』クイーン・オブ・ダイアモンドが置かれている。
ミアは混乱した。
(え、え!? 待って。偽物を届ける予定はなかったはず……)
ヴェリティはポーカーフェイスでたずねた。
「あら、あなた……どうして『ひとつしかないはずのダイヤ』がふたつあるの?」
「これは……」
ミアは目をまわしていた。
「ふふ、いいのよ、連邦捜査官さん」
ヴェリティは彼女に近づき、彼女の手をとって壁際にゆっくりと優しく押しつけると、耳元で言った。
「話は聞いてるわ。シルバー・バレットを対策するために偽物を用意したんですってね」
ミアはきっと彼女が当局あるいはほかの連邦捜査官から直接聞いたのだろうと思った。ここではあくまで彼女は正式な出品者だし、なにかの手違いで偽物が届いてしまったのだとすれば当局はその理由を説明しなければならないからだ。
ミアは目をつむって、黙りこんでしまった。
ヴェリティは彼女のあごをとってたずねた。
「目を開けて、正直に答えて。それが本物?」
ミアは彼女の目をまっすぐに見られず、目をそらして答えた。
「……ええ」
「よかった。ありがとう、ミア。『あなたが届けてくれて』うれしいわ。ほんとよ。もう競売まで二週間もないもの。そのつもりがなくとも『手違いで』結果的に大切なお客さまに『偽物』を売ったなんてことになったら大問題よ」
ミアはまたよくわからなくなってきていた。
「……バレーさん、あたしには、あなたの考えていることがよくわかりません。『偽物』のことを知ってたんじゃないんですか」
「いいえ、知らなかったわよ」
「うそ! だって……」
「だってそういう『予定』だったじゃない。わたしはてっきり『本物』だと思ってダイヤを受け取ったの。ほんとにそう『信じて』たのよ。そしたら相手のほうから『手違いで』偽物が届いたなんて教えてくれたの。悲しかったわ……」
ミアはこのヴェリティ・バレーというひとの本性を、だんだんと肌で感じてきたような気がして、ぞわぞわと鳥肌を感じた。
コヨーテだ。
このひとは、優位な状況をつくり周りが動くのを待って、弱みを見せず、相手が姿勢を崩したところを襲う、へびみたいに狡猾で、卑怯なひとなんだ。
彼女は動かない。手を下さない。二枚舌で周りを利用して利益だけを貪る。だから証拠も残さないし、裁かれない。
あたしはこのひとには、勝てない。
「……騙してたんですね」
「あら、なんのこと?」
「あたし、知らなかった! あなたが科学アカデミーと『契約』してたなんて……してたなら危険を冒して『盗む』必要なんてないし、合理的に考えて、ぜったい襲ってくるわけもない……あなたが『襲ってこない』なら、ぜんぶむだだった! あたしのこの一ヶ月の徒労はなんだったの!? ぜんぶ、あなたが科学アカデミーとは無関係だって、そういう『前提』で行動してたのに……」
ヴェリティはおかしそうに答えた。
「そうね。勝手に想像して勝手に行動して勝手に失敗して、ご苦労さま。でもね、それでわたしを責めるのは筋違いってものよ。そうでしょ? ぜんぶあなたが『勝手に』やったことなんだから。だってわたし、関係があるとも関係がないとも、ひとことだって言ってないわよ。そういう『前提』って、勝手にそう思いこんでただけじゃない?」
ミアは目じりに涙を浮かべた。
なによりなにも言い返せなくて、それがいちばん悔しかったのだ。
「わたし、隠してだってないわよ。積極的に公開してもいないけれど、科学アカデミーに問い合わせればいつだって答えてくれたでしょうに。それを調べるのが『連邦捜査官さん』あなたの仕事でしょう?」
ミアは悔しくて、歯を食いしばってひどいののしりの言葉を飲みこんだ。
ミアは生まれて初めてほんとうの屈辱というものを理解した気がした。これまで受けたどんな行為も、ヴェリティにされたことに比べればささやかなものだった。痛みや苦しみなんてものじゃない。知らず知らずのうちに相手に利用され、そして、相手のためになることをしてしまい……なによりそれに対して感謝もされなければ謝罪もされないという、その結果に対して報われない悲しみを感じていた。
ミアはシルバー・バレットがクイーン・オブ・ダイアモンドを手にすることを阻止するために行動していたはずだった。しかし彼女は……ヴェリティがシルバー・バレットかが定かでないことは脇に置くとしても、彼女は現に、クイーン・オブ・ダイアモンドを入手することに成功したのだ。
そして、それはミアがいようといなかろうと、変わりのないことだった。
ミアは事実関係を整理して冷静に考えた。
(シルバー・バレットの真の目的はあくまで『海賊航路』にあるはず。だとすれば彼女はそのためにスヴェトラーノフ科学アカデミーに潜りこんだ。あたしはそれを知らなかったから『勝手に』クイーン・オブ・ダイアモンドを盗まれまいと空回りしてしまった。でも彼女は彼女で正式な出品者になった以上、競り落とされたダイヤを回収することなんて、そう易々とはできないはず。前向きに捉えるなら、ダイヤを守るという意味ではむしろ、より安全な状況になったと言っていい。バレーさんが教えてくれた、海賊航路の『口座』……これを凍結することが、あたしがつぎにやるべきこと)
ミアはダイヤを机に置いて椅子に座り、本物のクイーン・オブ・ダイアモンドと偽物を見比べて感心するヴェリティを一瞬も逃さず監視していた。
考えられる最悪の場合は、彼女がここで本物を盗み、偽物を出品することだ。それだけはなんとしても、とくに彼女の連邦捜査官としての誇りがそうはさせまいと考えていた。
「それにしても、よくできてるわね。ほんとにわからないわ」
彼女はそれぞれ簡易検査機で調べたが、両方とも本物のダイヤという反応が示された。重量、大きさ、なにをとっても本物と遜色なかった。
ミアは以前、ヴェリティがすばらしい手品を披露してくれたことを思いだした。
(彼女ならいつだって本物と偽物をすり替えることができるはず。注意しないと……)
ミアがそう考えていると、ヴェリティはそれを見透かしたように言った。
「わたしが手品ですり替える、って思ってるでしょ」
ミアはぎくりとした。
ヴェリティは妖艶な笑みを見せた。
「やっぱり。あなた、うそをつくのがへたね。顔にそう書いてあったもの。そんなに熱い目線で見つめられたら、だれだってわかっちゃうわよ。でもね、わたしは好きよ」
ヴェリティはダイヤから目を離し、ミアのほうを見た。
「さっきはちょっと感情的な『ふり』をしてたけど、あれも『演技』ね。嫌な思いをしたなんて感情からでた言葉じゃない。わたしがあなたを利用して『偽物』を用意させたって『気づいたことに気づかれないため』の演技。でもね、あなたって基本的に合理的なの。いつもはそうじゃないのに突然『感情的なふり』なんてしても、すぐにわかっちゃうわ。こういうのって『日頃の行い』なのよ」
ミアは感情が昂っていたことは事実だが、それでも、合理性を欠いた行動をとることは常に抑えていた。彼女はため息をついて答えた。
「だったら正直に答えます。はい。わたし、あなたのこと信頼していませんから」
「褒め言葉ね。信頼なんてあやふやなものに頼っているといつか足をすくわれる。だからそれはわたしにとって最上の称賛なのよ。わたしは『信頼』よりも『警戒』されたいの。それって『強い』って思われてるってことだから。そうでしょ?」
ミアはいまでも彼女の世界観や考え方には、一定の共感するところがあった。
ミアは警告した。
「ミス・バレー……あなたの実力は評価に値します。でも、ご存じかと思いますが、会場はすでに連邦捜査局が張っています。たとえあたしの目を『手品』で騙せたって……ここから逃げるのは、不可能です」
「ふふ。証拠があればね」
ヴェリティはダイヤを手袋をした両手で持ったまま、ミアの目を見て言った。
「ミア、いい? あなたにひとつ教えてあげる。『証拠』がなければFBIは動けない。結果的にではあるけれどいまここに『本物』と『偽物』のダイヤがあって、わたしには、それをすり替えることのできる技術がある。あなたはきっとこう思っているのでしょう。『あたしはこの状況をつくるために意図的にそそのかされ利用された』無理もないわ」
「ええ。でなければあなたがわざわざ当局に情報を流したり、あたしを泳がせておいた理由が説明できませんから。ここまで計画していたとは驚きです。もしあたしがひとつでもあなたの計画外の行動をとった場合、あなたはいまごろ、ただ競売で本物のダイヤを捌いて終わりだったでしょう?」
「そうね。それでいいのよ? だってわたしはなにも『損』しないじゃない。最悪でもそれで済むのなら、あとは『得』になる可能性のあることをしておけば、勝手に周囲がわたしをおだてるように動いてくれるもの。わたしは『失敗』しないことだけをすればいいの。周囲が勝手に『失敗』してくれて、結果的にわたしが得するんだから」
「わたしみたいに?」
「そう、あなたみたいに」
その考え方は、ミアもわからないでもなかった。
話しながらヴェリティは握りこぶしほどの大きさのダイヤとその偽物を見比べており、やがてつまらなそうミアのほうに近づき、言った。
「あげるわ」
すとん、と偽物のクイーン・オブ・ダイアモンドが、ミアのカーディガンのポケットに落とされた。
「表面処理は見事ね。すごく目を凝らさないとわからない。砕いたダイヤを散りばめて、本物そっくりな反応を示すように加工されてる。道具は欺けるけど、それでかえって肉眼ではわかりやすくなってるわね。その筋の専門家ならわかっちゃう。わたしみたいにね」
ミアは言われてポケットからそれをとりだしてじっくりと見てみたが、ヴェリティが手に持っている本物と見比べても、彼女にはわからなかった。
「五カラット、くらいかしら。まあまあのお小遣いにはなると思う。ここに置いといてもほかのみんなが混乱するだけだし、持って帰ってちょうだい」
ミアは個人的に偽物のダイヤをもらうつもりはなかったが、もともと連邦捜査局の計画ではこれを回収することになっていたので、彼女が持っている分には問題ないと考えた。それにもしこれが本物だとしてもシルバー・バレットの手には渡っていないわけだから、やはりその場合も問題はない。
ヴェリティは本物のクイーン・オブ・ダイアモンドをケースに戻して鍵をかけた。
「オークション当日まではこのまま」
ミアはそのとき、直観がぴんと働いた。
(コインの手品と同じ。『ダイヤがふたつしかなく』かつ『わたしが偽物を持っている』ならば『あのダイヤは本物』。会場に届ける予定はなかったけど、偽物のダイヤはポートランドにもあったはず。もし彼女がそれを知っているとすれば……)
検品が済んだのでひょうひょうと去ろうとするヴェリティを、ミアは捕まえて言った。
「身体検査です!」
「はあ?」
「ミス・バレー、ダイヤがふたつしかないなんて、だれが言いました?」
ヴェリティの頬に汗が見えた。
「もともと『ダイヤはみっつ』あったんです。あなたは巧妙に、この部屋には『ダイヤはふたつ』しかないと思わせてきた。もしはじめから『ダイヤはみっつ』あったとすれば、あなたが『本物のダイヤ』を隠している可能性はじゅうぶんにある!」
「へえ、そうなの。でもね、そんな言いがかり……やめてよ」
ヴェリティの上着に手をかけるミアを、彼女は振り払った。
「証拠もなしに、こういうの、よくないわよ」
「任意での協力ができないのであれば、連邦捜査局の権限だってあります」
「そんな権限……令状はあるの?」
「いいえ……ごめんなさい。ほんとはできません。連邦捜査官って言ったって、そんなに好き勝手捜査できるわけじゃないんです。でも、じゃあ……個人的に、お願いします」
ヴェリティは彼女が急にしおらしくなって、どぎまぎしていた。
「もし、ほんとにあなたがクイーン・オブ・ダイアモンドを盗むつもりがないのなら……ここでそれを証明してください。ただ調べさせてください。もしここで帰して、どこかに隠されでもしたらと、そう思うと……あたし、もう納得できないと思います。『あのときなにかできたかもしれない』、なのに『また』なにもしなかったって、あたし、きっと、この先ずっと後悔することになると思うんです。証拠はありません。だから、あたしには強制はできません。でも……そうじゃないとしても……ただ『ありもしなかった未来』を期待させないでほしいんです。ここでなにかしても、結局なにも変わらなかったって……どんな結果に終わろうとも、せめて『ありもしない可能性』で、悩みたくないんです」
その言葉を聞いてヴェリティはすこし感心し、初めてこのミア・ウェストンという人物に興味を抱いた気がした。
彼女はすこし思うところがあり、答えた。
「ふふ。ミア、やるわね。あなた、いままででいちばん『かっこいい』わよ」
「へっ!?」
ミアはいきなり褒められてびっくりしてしまった。なにより、ひとを褒めたりそういう印象のまったくない、このヴェリティというひとに褒められたことが。
「わたし、『昨日までのあなた』は正直どうなのって思ってたけど、『今日のあなた』はかっこいいって思うわ。ほんとよ。変わったわね」
「な、なんのことですか」
「あなた、いまはっきりと『あなたの意見』を言ったでしょ。周囲にあわせたり、他人のために外面を繕ったり、そういう決まりだからとかじゃない。あなた、いま見ず知らずのだれかのためじゃなくて『あなた自身のために』、見ず知らずのだれかの言葉を借りたりせずに『あなた自身の言葉で』、あなたが考えてることを述べた。それが『かっこいい』ってことだし、それがあなたというものなのよ」
ミアはいきなりヴェリティが矢のように言葉を並べ、ぽけーっとしてしまった。
「あなた、最初にこう言ったわよね。『かっこいいってことは、周りに誇れるってこと』って。わたしはそれがぜんぜん『かっこいい』って思わないもの。だから正直『昨日までのあなた』は『かっこいい』と思えなかった。でも『今日のあなた』は、『かっこいい』と思うわ。もちろん『後悔したくない』なんてただの感情の問題だから、わたしは好きになれない。でも、中途半端に『合理的な生き方に憧れてる』だけだった昨日までのあなたより、『あなたの自身の言葉』で考え『あなた自身のために』未来を選んだいまのあなたって、すごくかっこいいし、すっごく大嫌い。だからちょっとくらいなら、あなたの意見を聞いてみようかなって思ったの」