この世界に味方なんていない。あたしはそういう信念で生きている。もし味方がいるとするのなら、どうしてこの世はこんなにも残酷なのだろう。

 助けなんてない。だから負けられない。あたしは強くなくちゃいけない。だってあたしを救えるのは、いつだってあたしだけなんだから。


 ヴェリティ・A・バレーは銀髪碧眼、二七歳の英国人女性で、職業を明かさず、いつも遊んでばかりで仕事をしているようにも見えない一方でお金が尽きるような様子もなく、とにかくどうやって暮らしているのかわからない、ミステリアスな美人だった。

 好奇心旺盛な彼女の知人たちは、彼女がさるイギリスの高貴な家の生まれなのだとか、根も葉もないうわさ話をしきりにしては身内で楽しんでいた。

 そのなかにはたとえば冗談めかして彼女は秘密情報部の諜報員なのだとか、そういった話題も含まれていたものの、本気で受け取られることはほとんどなかった。

 それは彼女にとって都合のいい隠れ蓑になってくれた。

 さて、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにおいて、ヴェリティはつぎのターゲットを見定めていた。ロシアでクイーン・オブ・ダイアモンドと名づけられた一〇〇〇カラット超の原石が発掘され、今年の秋オークションにかけられる予定なのだ。

 しかしその警備は厳重で、とてもひとりで侵入できるものではなかった。

 彼女は待つことは得意だった。無理なものは無理と諦める。こういったものごとは躍起になったほうが負けなのだ。

 だから彼女は罠を張って、ひたすら待ち続けた。


 半年ほどして、オークションの開催まで残り二ヶ月を切った夏のことだった。これまでのヴェリティの活動を知っているという同業者から連絡があった。ヴェリティよりいつつは若い成人女性で、名前をミア・ウェストンと言った。

 二〇七〇年代。時代は変わり、いまやオフラインのほうが足がつかない。ヴェリティは会合のために一時的に宿泊しているロサンゼルスのホテルに彼女を誘った。

「生き方に憧れているんです」

 ミアはソファに腰かけ、紅茶に口をつけて言った。

 ミアは赤毛のベリーショートで、左耳にダイヤが埋め込まれた三日月型のイヤリングをしている。トップスはフリルがかわいいベージュのペプラム、ボトムスは遠目にはロングスカートのように見える焦茶色のガンチョ。化粧はあっさりしているように見えてリップやチーク、アイシャドウにはこだわりが感じられ、手を抜いてはいない。シックな衣装で揃えられた服装は大人びたい心の表れだが、ひと目を気にして一挙手一投足に気を遣い、なにをするにしても外面を気にしてしまうような精神的な幼さはあり、いまだ垢抜けなさの残る童顔もあわせて、やや背伸びして着飾っているような印象を見せていた。

 ヴェリティは研究生の時代から、これといってファッションというものにあまり興味を持てずにいる一方で、なんだかんだでブランドものが好きだったり、単純に外見で周囲に舐められたくないといった自尊心もあり、二〇ポンドのワイシャツと機能的にはほとんど変わらないような高価な白いブラウスを着ている。ボトムスは紺色のスキニージーンズ。全体として空色が基調で、汚らしくはないがこれといって見るところもない地味な感じ。それは良くも悪くも目立たない、落ち着いた印象のある衣装だった。

 ふたりは高層建築の二五階の部屋で、ローテーブルをまたいで向かい合っている。ミアの背後には大きな窓からロサンゼルスの夜景が広がっており、絶えることのない光源が、眠らない街の異名をほしいままにしている。

 レーザーで夜空に敷かれたサーキットはロサンゼルスのドローン・レースのコースで、いま毎年恒例の夏のドローン・レースが行われている。ドローンはあまりにも小さいため肉眼ではほとんど見えないが、沸き立つ観客のための中継が、巨大なホログラムによって街のあちこちに映写されたり、個人の端末まで配信されている。

 ヴェリティはミアの話をつまらなそうに聞きながら、今回のレースで賭けたドローンの順位を確認している。AIによる予想はほとんど的中していた。彼女は満足で、目のまえにいるこの童顔の少女の話が耳に入らずにいた。

 ミアは目をつむって手をあわせ、媚びへつらうように言った。

「だってふつう、かっこいいことがしたいじゃないですか。かっこいいってことは、周りに誇れるってことです。こういうことは周りに誇れません。それに褒められもしません。ひたすら孤独に頑張らないといけない。誇ったり褒められるためじゃなく、ただ自分自身のためだけに、目標へ向かい続けないといけないんです。それってとても難しいことだと思いますし……なにより地道にそれを継続できるってことに、憧れます」

 ヴェリティはため息をついた。

「連邦捜査局の新人研修で習った人心掌握術?」

 ミアはげ、という表情を見せた。

「FBIのおとり捜査官ね」

「な、なんのことでしょう」

「まだ若いのに、かわいそうに」

 ヴェリティは立ちあがって、ぐいっとローテーブルをまわりこみ、ミアの左隣に座って彼女の腰に右手をまわした。

 ソファはふたり分の広さはあるものの、ヴェリティが強く引き寄せるものだからふたりの距離は肩が触れ合うほどとても狭いものになった。

 ヴェリティは彼女のあごに左手を添え、頬を近づけた。

「隠さなくていいの。連邦捜査局に情報を流したのは、ほかでもないわたしなんだから」

 するとミアは観念した。

「……通信妨害をしているのも、偶然じゃないってわけですか」

「ええ」

 ヴェリティはうれしそうに答えた。

「でも悪いようにしたいわけじゃないの。ただ協力してほしい」

「あたしは連邦捜査官。するわけないですよ」

「そうかしら。たとえばこうやって……」

 ヴェリティは彼女の胸元に手をかけ、ボタンをひとつ、またひとつと外した。

 ミアの身体がこわばる。

「……服を脱がせて、IDを奪って、わたしがあなたになりきったら……」

 抵抗しないミアの服の隙間からヴェリティの手がさしこまれ、その指が肌をなぞると、ミアは初々しく可愛らしい反応を見せた。

「……それってもはや、わたしに協力してるってことにならない?」

 息を荒げるミアは、それでも抵抗を見せない。

 そしてヴェリティは見つけたとばかりに、彼女の襟元の小型マイクと骨伝導イヤホン、そしてショルダーホルスターからコンパクトガンをとりあげた。

「あっ! それ……」

 ミアが手を伸ばすとヴェリティはそれを持ってひょいと立ちあがり、まじまじと見る。

「隙だらけ。もしわたしが『中途半端な小悪党』だったら、ばぁん! って、撃たれてもおかしくなかった」

「う~……」

 ミアは涙目で、悔しそうにしている。

「でもね、そんなことしてもわたしにはなんの得もないもの。わかるでしょ? あなたがいまここにいるってこと自体、まだFBIに確たる証拠がないってこと。もしそれがあるならこんなふうにわざわざあなたを送り込まずに、堂々と踏み込んでくればいいもの」

 それはミアにとっても身の安全に自信が持てるひとつの理由でもあった。もしなにかがあって襲われるとすれば、それ自体が現行犯逮捕の理由になる。証拠をひとつも残さずに計画を遂行するような彼女が、そんなことをするはずがないのだ。

 ヴェリティは彼女の装備を彼女に返し、言った。

「いい? ミア。わたしにとって『協力』っていうのはね、なにもここであなたを口説き落として、あなたの『意思』でそうしてほしいってことじゃないの。『望んで』協力するひとは『望んで』平気で裏切るから、信頼できない。もしそれがあなたの望まないことであったとしても、それは単なる感情の問題。わたしは気にしない。『結果的に』あなたがわたしに利益をもたらしてくれれば、わたしはそれでいいのよ。だからなにがあっても、あなたも気にしないで。それが『利害関係』ってことだし、それがわたしにとって唯一の『協力関係』の定義なのよ」

 ミアは理性的にはけっして悪行を称賛してはならないと考えていたが、その一方で他者を信頼せずに感情よりも実益だけを重視する潔い彼女の考え方それ自体は、どこかふしぎと共感し、惹かれるものを感じていた。