一九〇八年に発売されたアメリカ合衆国の自動車、フォード・モデルTは、製造方式を大幅に改善して大量生産を可能にすることで劇的な価格破壊を実現し自動車産業を大きく発展させた車だった。
アメリカでは世界に先駆け自動車革命が巻き起こり、いまや馬車より自動車のほうが多く道路を走っている。それはのちに狂騒の二〇年代と呼ばれるほどの成長と混乱の時代で、世界の覇権をイギリスから奪うほどの勢いで進歩しており、全世界にアメリカ合衆国の名を知らしめたのだ。
その熱い鼓動は日本にも伝わり、フォード・モデルTを利用したタクシーといった交通事業が始められるなど、アメリカの製品は街中でもよく目にするものとなっていた。
一九世紀から二〇世紀にかけて、人類の科学は飛躍的な発展を遂げた。マクスウェルの電磁気学はそれまで『電気』や『磁気』として別々に認識されていた現象を、『電磁気』として統一的に扱うことを可能にし、さらにその帰結として『電磁波』という未知の現象を理論的に予言してみせた。
たびかさなる理論の進歩と技術革新の連続は、あっという間に世界の人々を魅了し科学の世界へ惹きこんだのだ。
もちろん、変化とはよいことばかりではない。科学のみならず、一昼夜にしてすべてが変貌するような大事件がしきりに起こってもいた。
ラジオ放送が実現されると、庶民にとって『電磁波』が単なる理論的な議論の道具ではなく、実在する物理現象として身近に感じられるようになった。人間の脳にもそのような『電磁波』を受信したり送信したりする機能があるのではないかと想像することは人々にとってとても自然な類推で、科学をかさにきた神秘的で世俗的なうわさ話はまたたく間に世間に浸透した。
さらに科学と技術の発展は、人類の争いに凶悪な拍車をかけることにもなった。
一九一四年から一九一八年には世界大戦が巻き起こり、優理は一八歳から二二歳までの多感な時期を、世界のうねりを肌に感じて過ごした。新聞には明日は我が身ともわからぬ凶報が連なり、彼女はそれに不安を覚えつつ、きっとどうにかなるだろうとどこか楽観的でもいたのだ。
優理は大學で学んだことを活かし、アマチュア無線を自作して友人との無線電話に利用していた。彼女が着付けを終えて大學へ出発しようとすると、彼女の無線から妙な音声が流れた。
ざ、ざ、とノイズがまじった音声ではあるものの、たしかに人間の声のように彼女には聞こえた。
《……こく……》
優理は妙に感じた。無線は受信スイッチを押さないと通信をしないようになっている。通話をしたいときはお互いに時間を決めてスイッチを押すのだ。
しかし音声は流れ続けた。
《……ち……く……》
彼女は機械がこわれたのかと思い、受信スイッチを何度か押す。接触が悪い場合、そうするとなおることがあるのだ。ところが結果は変わらない。
《……ち……こく……》
(遅刻?)
彼女はかろうじて聞き取れた単語があったので、なにか困っているのかと感じて、発信スイッチを押して言った。
「あーあー、聞こえますか。遅刻、って言いました?」
《……こく……》
「……聞こえます?」
《……こ……》
彼女はいよいよ変だと思い、ラジオの電源を切った。
(なんか、壊れちゃったみたい。帰ってきたらなおさないと。いまはとにかく急がなきゃ。遅刻しちゃう)
そして彼女が家をでるとき、彼女はふと視界の端にちらりとほんの一瞬だけ、懐中時計を持った白いうさぎを見た気がしたのだ。
彼女がそれがなんなのかを認識するよりも早く、ほんのいちどだけまばたきをした直後には、もうその白いうさぎは姿を消してしまっていた。
日本郵船がロンドンに支店を設置し、スエズ運河を経由した横浜からの欧州航路を開拓したのが優理の生まれた一八九六年のことだった。それ以前も日本とイギリスのやりとりはなかったわけではないが、庶民が容易に渡航できるものではなかった。ところが優理の母親の実理はその八年もまえの一八八八年にロンドンをおとずれた留学生で、学業の傍ら優理を育て、しかも東京女子師範学校の就職へ向けて励むなど、同年代のだれを置いても目を見張るような努力家で、こと教育に関しては人一倍厳しかった。実理にとってそれは優理のためを思ってのことではあったが、優理にしてみれば、ことあるごとに自身の人生に口を挟まれることが嫌で嫌でたまらなかった。
なにより優理は歳を重ねるに連れ、実理の想像以上の実績に劣等感さえ覚えるほどで、どうしたって比較してしまい嫉妬にも似た反抗心を我慢できなかったのだ。
だから実理になにを言われようと優理は、たとえそれが正しいと頭ではわかっていても第一声に反発の言葉を口にした。彼女が実理の重んずる『作法』よりも『自由』を選んだことは、彼女自身の考え方もあったが、優理はなにもかも言いなりになるだけの隷属的な存在ではなく、どうしても自立したいという成長期の健全な精神の表れでもあった。
それにさすがに二〇代も半ばになると、優理は専門分野では実理をはるかにしのぐ知識を身につけていた。優理は物理学で優秀な成績を修め、語学や世界史が専門の実理より、こと科学に関してはすぐれていると自負してもいた。
若気の至りは、優理の瞳に実理を『科学的』には無知な『古い』人間として映し始めていたのだ。
ときに日本郵船の船に乗り、ひとりの西洋婦人が日本、長崎をおとずれていた。
薄手で純白の衣装に身を包み、日傘で目元を隠す謎めいた小さな美人。
羽織った医療用の白衣はSSサイズとはいえ大人用な以上ぶかぶかで、指先までそでに隠れていて、胸ポケットにはペンのような形状の懐中電灯を携え、大きな赤い旅行かばんを持っている。
背丈は低く、骨格は頼りない。見た目には『お医者さんごっこ』をする一一歳の少女にしか見えないが、落ち着いていてどこか人生経験豊富な大人の女性の印象も見せている。
マグダレーネ・バウムガルテン。彼女は古い友人に挨拶にと、長崎の離島にある水無川旅館という名の温泉宿をたずねていた。彼女はむかしその旅館の若女将にお世話になったのだ。
しかし彼女の尋ね人は、そこにはいなかった。
(そうよね)
マグダレーネはすこしだけ寂しいきもちになった。しかしそれは、決して落胆といったたぐいのものではなかった。
(レンリ、あたしは悲しまない。きみの存在は、あたしの心にしっかり残っているから)
彼女は水無川旅館で三泊し、すこしだけくつろいだ。マグダレーネはそこでかつて彼女から聞いたことを思いだしていた。彼女は近代的な世界を知りたいと口々に言っていた。そしてそのために京へ行きたいとも。
(あれからもう一〇〇年……レンリ、きみはきっと、もうこの世にはいないだろうけど)
マグダレーネは特別な薬品で長いあいだ子どもの姿でいるが、実年齢は一〇〇歳をゆうに超えている。連理はそういったことはしていない。
周囲の多くの友人と同様に、連理も彼女を置いてきぼりにして去ってしまったにちがいないのだ。
しかし、マグダレーネは単に過去の未練を引きずってここをおとずれたわけではない。当時は江戸幕府の政策で鎖国下にあったが、連理は彼女に、もしも開国することがあればいつでも待っていると言ったのだ。すでに連理が生きているはずがないほど時間が流れてしまったが、それでもかつての友人との約束を果たすことは、お墓参りのようなある種の儀式にすぎないとしても、彼女の好意に報いるためひととして最低限の礼儀のようにも、マグダレーネには思えた。
そのあと役所で彼女のことを調べてもらって、マグダレーネはすこしだけ希望を感じた気がした。すくなくとも彼女が亡くなったとは記録されていない。もちろんそれは彼女が生きていることを意味するわけではないが、それでも、それが『ありもしない可能性』だとしても、それにすがりつく余地は残されていると思えた。
連理の言葉を借りるなら、それこそ『不可知』なことなのだ。
(未来は『未知』だけど過去は『不可知』。未来はいずれ知ることもできるけど、過去はもう知りようがない。だったら『いまを生きるあたし』のためになるように考える。そうよね、レンリ)
それに水無川旅館は次世代の若女将が引き継いでおり現存していて、マグダレーネは、連理にとってそれこそが彼女の生きた証で、喜ばしいことなのだろうと感じた。
だからマグダレーネはちっとも悲しくはなかった。お湯に浸かるだけで、いつでも彼女のぬくもりを思いだせるような気がして。彼女はまたいつでもここにくれば、それだけでかつての身を焦がすような情動にひたれると思ったのだ。
マグダレーネは京都へ向かい、連理大社という神社をおとずれた。一説には水無川神社の総本宮とされているが定かではない。彼女の興味をひいたものは、石碑に刻まれた歴史に彼女の知る友人の名があったことだ。
マグダレーネは漢字のすべてを読めるわけではないが、友人の名を読むことはできた。彼女はしゃがんでその名前に指をはわせた。それは彼女をふしぎな気分にさせた。
(……歴史は続いていて、世界は繋がっているんだね……)
ふと、彼女の目元に涙が流れていた。彼女はそれをぬぐって立ちあがった。
京都の役所で、マグダレーネは連理の名前を探してもらった。大正は彼女の知っている日本とすこし変わっていて、平民でも名字を称することを義務づけられていた。
「ミズナシガワノ・レンリという名前だったと思います。漢字はたしか……」
マグダレーネは〝水無川連理〟と記した。
「読みは違いますが水無川という名字のかたはいらっしゃったようですね」
「ミナガワ・レンリ?」
「いいえ。記録では……」
水無川実理。
彼女はもう三〇年以上まえに東京に居を移しているらしい。それが京都でわかる最後の手がかりだった。