一九二二年(大正一一年)一一月、日本、東京府東京市四谷区。
午前九時。
水無川優理、二六歳。ウェーブのかかったミディアムボブを明るい茶色に染めていて、ふわふわと広がる髪をかんざしで軽く留めている。現代大正最新技術、酸化型染毛剤だ。彼女はいま、慣れない振袖の着付けをしながら帝國大學に向かう準備をしている。
午前五時には目を覚まし、身体を洗い、朝ごはんを済ませて歯を磨き、髪を整えお化粧をし、押し入れからひっぱりだした着物の着方もわからずにどたばたする早朝の四時間。ちなみに昨晩は金曜日で遅くまで研究をしていて、就寝は午前三時。睡眠時間は二時間。
「これでよし」
優理の母、水無川実理。いくつになっても若々しく、周囲からは三〇は若く見える美人と評判の女性。
「ありがとう、お母さん」
「優理、もういい歳なんだから着付けくらいひとりでできるようになりなさい」
「いーもん! こんなの、もう滅多に着る機会ないんだから」
「いつもお洋服ばかり着て、だらしないですよ。みっともなくてご近所に顔がさします」
洋服と言えばもっぱら鉄道の駅員が着るような職務上の指定された制服で、『ハイソ』な女学生が着ることもあったが、いずれにせよ私服として着ることはほとんどなく非常に目立つ格好だった。
「それとその言葉遣い! 殿方のような大股歩き! 大袈裟にふるまって、うちに帰ってくるころにはいつも着物をはだけさせていますね。はしたないですよ」
「それがはやりのおしゃれなの! 『着崩し』って言うのよ」
「まったく、遊女じゃないんですから。作法がなっていませんよ。優理にかぎらず大正の女の子はみんなそうですよね。明治の婦人は華族のかたがたのような品位ある所作を身につけることがあたりまえでした」
「もー、古いんだから。わたしは英吉利生まれの大正婦人、モダンなハイカラ・レディ。『青鞜』にあるような既存の価値観にとらわれず自由に生きる『新しい女』なのよ!」
それを聞いて実理はどこか寂しいような、あるいは娘の成長を感じてうれしいような、そんな哀愁を感じた。
「……時代は変わったんですね」
実理は優理が単なる自分の複製ではない、ひとりの自立した人間へと成長していることがうれしくありつつも、彼女にとってはどうしても不安になることも少なからずあった。
(京都の両親はわたしに常に厳しく、武術と学識、そして淑女としての礼節をわきまえる心を教えてくださいました。それでへとへとになってしまい、しばしば疲れて嫌になってしまったことも。いまとなっては両親のきもちが痛いほどわかります。この子がひと前で思いもよらず不作法を働き恥ずかしい思いをせずに済むように、わたしは必要だと思って教えているつもりです。でも、この子の周りではきっと、そんな『不作法』をからかって仲間はずれにするような、そんな奴輩はいないのでしょうね)
実理はそう思い、彼女自身が武器で身を守る必要のない明治を生きたのと同じように、優理が礼儀作法で身を固めて身を守る必要のない時代に生きているのだと感じた。
(……人間は、日に日に弱くなってゆく。強くある必要のない世界が訪れるから。でも、それぞれの時代で別々の『強さ』を求められるようになる。優理の強さは『自由』。彼女には形式的な作法なんてもはや必要ないのかもしれません)
それは彼女にとってどこか安心しつつも、やはり老婆心が隠せずついつい心配になり、おせっかいを働いてしまうことでもあった。
(でも作法は『誠意』を伝えるための形式であれどもかたちだけの『虚飾』ではけっしてありません。常に誠実に生きること、そしてその意思を相手に伝える習慣を、作法を通じ身につけることが大事なんです。自由形式というものはそれがずっと難しい。たとえ作法という形式が不要になったとしても『誠実さ』まで失ってよいなんてことは、どの時代のどの文化、あるいはどんな『可能世界』をとってもぜったいにありません。わたしはただそれだけが心配です。でも無理に教えるよりも優理がおのずとそれに気付くまで、いまは見守ることがよいのかもしれません)
実理はそこまで考えをめぐらせて、たずねた。
「そのモダンなハイカラ・レディの優理が、どうして土曜日にこんな立派な着物で大學に行くんですか?」
「それはねー、今週から帝國大學で、さる有名な外国の先生のご講演があるからよ!」
「ああ、あの……アインシュタイン先生、でしたっけ」
「そう、こんな機会もう二度とない! スケジュールも完璧! ご講演は午後二時から。この日のために独語も勉強してきたんだから! お母さんもくる!?」
「興味はありますけど、遠慮します。わたしは物理学には疎いですし、若人の勉学の邪魔になりたくはありません」