一八八八年(明治二一年)八月三一日。

 スコットランドヤードのアバーライン警部補は、ホワイトチャペルで起きている奇怪な一連の殺人事件の捜査にあたっていた。

「ひどいですね」

 アバーライン警部補のもとで働くウォルター・デュー巡査はぼやいた。

「ふつうの殺しじゃない」

 アバーラインは答えた。

「ただ殺すだけでは飽き足らず、遺体を切り刻んでいる」

「怨恨でしょうか」

「わからない」

 ホワイトチャペルで事件が起きることは珍しいことではない。スコットランドヤードの関心は、異なる事件が偶発的に起きているのか、同一犯による連続殺人事件なのかという点にあった。

「これまでの被害者はここまで痛めつけられてはいませんでした」

 ウォルターは記録を見た。

「……いえ、一件だけ例があります。今月の頭……」

「再犯は成長する。手口は巧妙に、残忍なものになってゆく。もしもこれが同一犯による犯行なのだとすれば、やつをこれ以上野放しにしておくことは危険だ」


 アリスは実理を連れて、ホワイトチャペルを訪れていた。そこでふたりは偶然か必然か殺人事件の現場に遭遇する。

 実理は捜査陣の先に覗く惨憺たる光景に思わず目をつむり、顔を覆った。

 アリスは実理に謝った。

「ごめんね、ミノリ。ロンドンに到着して昨日の今日でこんなことに巻き込んで。ひどいところだって、失望したでしょ」

 馬車のうえ、アリスの隣で実理はおそるおそる目を開けて、曇った顔で答えた。

「世のなかきれいごとばかりとは言えません。失望はしてませんよ。でも、思ったよりもずっと理想とはほど遠い現実に、ちょっとくらっときてしまっただけです」

 アリスと実理は馬車から降りて捜査中のアバーライン警部補を捕まえて質問した。

「なにがあったんですか?」

「なんだね、きみたちは」

 アバーラインはぶっきらぼうにたずねた。

「ウェストミンスターのリバーズ・クリニックのアリス・リバーズです。こちらは友達のミナガワ・ミノリ」

「は、初めまして」

 実理はぺこりと腰を折ってお辞儀をした。

「報道関係者か?」

「いえ、戯曲を書いていまして、その取材にと思いまして」

 するとアバーラインは眉をひそめた。

「これは遊びじゃないんだ。創作のために活かすならシェイクスピアでも読みたまえ」

「シェイクスピアだって最初は現実を参考に書いたはずです。そこをなんとか」

 するとアバーラインは面倒そうに手配した。

「デュー、彼女らに説明してあげたまえ」