横濱港に入港中の船内で、アリス・メイベル・ベーコンは津田に電報を打った。彼女は津田と同じくアメリカに留学していた捨松のホストファミリーで、縁あって今度は彼女が日本に招かれ、華族女学校の英語教師として教えてほしいと頼まれたのだ。
ベーコンは津田に、港に着いたので横濱の大きなホテルで待っていてほしいと伝えた。
ホテルの待合室でベーコンは、津田とその隣にちょこんと座る、華族女学校の女学生と思しき少女を見た。
「ウメ!」
ベーコンは津田に英語で声をかけた。
「会えてうれしいわ。捨松はどうしてる?」
「彼女は帰国してから女子教育をはじめとするさまざまな分野でとても活躍しています」
それからベーコンは隣の女学生に目を向けた。
葡萄茶袴の女学生。
肩ほどの長さの髪が揺れていて、銀色の瞳がうろうろと泳いでいる。
「ウメ、こちらは?」
「水無川実理さん。華族女学校の生徒です」
実理は緊張しきっていた。
「は、は、初めまして。水無川実理です」
現在の華族女学校の制服は洋服だが洋服を着ていると周囲に変な目で見られる。それに実理は服装まで強制的に欧化を進めることにはあまり賛同できなかったし、単純に以前の制服の葡萄茶袴のほうがかわいくて動きやすく好みだったりして私生活での服装はいつもこれだった。
「初めまして、ミナガワ・ミノリさん。来期から華族女学校で英語を教えさせていただくことになりました、アリス・ベーコンです」
実理はすこしうれしいきもちになっていた。
(つ、通じた。聞き取れる!)
津田は心配そうに彼女を見ていて、助け舟をだした。
「水無川さんはイギリス留学を検討しているのだそうです」
ベーコンはすこし大袈裟な身振り手振りでわざとらしく驚いて見せた。
「なるほど。それは感心です」
「でもネイティブとの会話に自信がもてないそうで」
「なるほど」
ベーコンは事情を理解し、ふたたび実理に向き直る。
「ミノリさん、なにか喋ってみてください」
「は、はひ……えっと」
「たしかに発音にはやや訛りがありますね」
「……ですよね」
「でも通じると思いますよ」
「ほ、ほんとうですか!?」
「リスニングも問題ないようですし」
「それは、散々練習しましたから」
「ただ、わたしの場合は捨松と過ごしたことで『聞き方』がほかのアメリカ人より上手な節はあります。でも聞く耳をもってくれるひとには、じゅうぶん通じると思いますよ」
「……英吉利のかたがたは、聞く耳を、もってくれるでしょうか」
「それこそ三者三様、十人十色、千差万別ですよ。あなたによくしてくれるひともいればつらくあたるひともいるでしょう。でも誠実に生き、友であろうと敵であろうと、他者を愛し慈しむ心を失わなければ世界のどこに行こうとも、だれひとりとしてあなたの言葉に耳を貸してくれなくなるということはありません。きっとよいホストファミリーにめぐりあえると思います。イギリスであなたがたったひとりになるということはありませんよ」
実理はその言葉を聞いて、英吉利への留学を決意したのだ。