『英吉利留学生募集』

 華族女学校の校舎に、そう掲示されていた。

 一八八八年(明治二一年)六月、日本、東京府東京市四谷区。

 黒地に赤いラインの幅広の襟、ロングスカートの古風なセーラー服の女学生。黒い髪は肩にかかるほどの長さで整えられていて、前髪は眉ほどの長さに揃えられている。彼女の瞳は透き通ったグレーで、光を反射してうっすら虹がかかった銀色にも見えた。

 華族女学校に通う士族の少女、水無川実理(みのり)、一六歳。彼女はいま、イギリスへ留学するかを悩んでいた。

 明治、それは文明開化の時代。鎖国の時代が終わり、幕末から明治維新を経て外国との交流が盛んになった時代。

 欧化主義と国粋主義が激しく対立し、制服さえ毎年のように変化を遂げる激動の時代。

 華族女学校では一八八七年に洋服の着用を義務づけられ、実理は慣れない西洋の服装にとまどい、変なふうに見られていないかとどぎまぎしている。

 洋服はおろか女子教育も整備されていない時代。留学という行為自体が珍しいうえ女性が英語を学べば洋妾呼ばわりされ白い目を向けられるこの時代。

 そんな時代に女学校で留学生を募集しても応募がくるはずもなく、閑古鳥だった。

 欧化政策に感化された実理は、京都からはるばる東京へやってきて華族女学校で英語を学んでいる。そんな彼女でもいざ外国へ行くとなると、周囲の目だけでなく、いろいろな不安が彼女の決断を躊躇させていた。

 外国の本が翻訳もされずに投げ売りされている奇妙な店で購入した雑誌。

 ビートンのクリスマス年鑑。ア・スタディ・イン・スカーレット。

 放課後の夕焼け空のもとで、窓際でそれを読んでいる実理。

 華族女学校の英語教師、津田うめが彼女を見て英語で声をかけた。

「なにを読んでいらっしゃるの?」

 津田は六歳の頃から一〇年余りアメリカに留学しており、かえって英語のほうが得意になっていた。

 実理も英語で答える。

「英吉利の雑誌です。ア・スタディ・イン・スカーレット……英語の勉強にと思いまして」

「毎度のことながら、水無川さんにはほんとうに感心します」

「そうでしょうか」

「ええ。所作のひとつひとつに気を遣い、勉強熱心でなにごとにも真摯に取り組みます」

「……華族のかたがたは、そうでしょう。わたしは士族。どこの家に嫁いでも親族に恥をかかせないような優雅な立ち振る舞いを身につけた淑女にも憧れますが、武家の娘の本分は、殿方に負けず劣らず、薙刀道や弓道、そして多くの武道や学識に通じて主人の留守に家を守ることです。末席とはいえこの華族女学校で肩を並べて学ぶ以上、家名を汚さないよう相応の立ち振る舞いを心がけてはいますが、やはりきちんとした華族のかたがたには遠く及びません」

「その誇り高さと誠実さがあなたの強さです。上流階級のかたがたは、たしかにこの学校には多いですね。でもあなたのその強くあらんという意志の力は、身分によらないあなた個人の強さと思います」

 実理は率直に褒められるとこそばゆくなってしまった。

「津田先生は、よくも悪くも率直ですよね。褒めるときも叱るときも」

「ええ」

「……憧れます」

「うれしいです」

「英語教師になりたいんです」

 実理は将来の夢を打ち明けた。

「東京女子師範学校で学ぼうとも考えています」

「それはいいことですね」

「でも、日本で学ぶだけで英語が身につくとも思いません」

「なるほど。それで留学を検討しているのですか」

「はい。でも、自信がありません」

「なぜでしょう」

「津田先生となら英語で話せます。でも、それを母国語とするひとに通じるかどうか」

「……なるほど。それなら、すこしよいお知らせがあります。横濱へ行きましょう」